町にポインセチアが売られると、クリスマスの時期がやってきたなあとワクワクする。12月10日は、ノーベル平和賞の授賞式。今年のノーベル平和賞は、ISの性被害を告発してきたイラク・クルド民族少数派のヤジディ教徒のナディア・ムラド氏がコンゴの医師と一緒に受賞する。
ヤジディ教徒といえば、がんで苦しんで死んでいったナブラスのことを思い出す。彼女はイスラム国が襲ってきたときにすでにがんにかかっていたから、ともかく病院のあるドホークを目指したので捕まらずに助かった。2014年、その冬、僕たちは、鎌田實を連れてドホークに行き、ナブラスの避難している家で炊き出しをし、その時にポインセチアを買ってきて、絵をかいてもらった。クリスマスのシーズンになるとどうしてもナブラスのことがわすれられないのだ。すると小太りのおばさんのことも思い出してくる。
毛布とかストーブを買って、ヤジディ教徒が避難していたキャンプに届けた時、そしたら小太りのおばさんがいて、地味に集めた古着とかを配っていたのだ。ハナーンさんも、ヤジディ教徒で、6月にバシーカ―という村が襲われて避難してきたという。シンジャールが落ちたのは2カ月後の8月だったので、少し先に避難してきたから何か彼らのために支援をしなければと活動を始めたそうだ。名刺をあげたら、いろいろと情報をくれるようになり、いつしか一緒に働くようになった。彼女は、ISの戦闘員にレイプされた女の子の面倒とかをよく見ていた。ハナーンさんは本当に素朴な小太りのおばちゃんだったから、女の子たちも信頼していたのだろう。
僕は、同席したときには、何が起きたかを事細かく説明してくれた。言葉がわからないということそして、やはり日本人だから信用できると思われた。こじつけかもしれないが、優れた工業製品を作る人たちは信頼できる!?と思われているようだった。僕たちは、近所の人たちに知れないようにわざわざ3時間かけて遠くのクリニックまで連れて行って妊娠しているかどうかとか言った検査を受けさせ、性的感染症の薬代なども支払った。
http://suigyu.com/noyouni/maki_satoh/post_10.html
30人ほどの、女性の支援をおこない、彼女たちの証言をまとめて、人権NGOであるHRNを通して国連人権委員会にも提出した。
レイプされた女の子には、アマルちゃんという12歳の子もいた。彼女のインタビューは、ハンケイというハナーンさんの避難しているおんぼろの家で行った。おんぼろだったが庭は広く、古着を集めて配るためにそういう家を借りたのだという。目の前に現れたのは、あどけない女の子だった。「私は、両親、1人の姉と2人の兄弟の、6人家族でした。8月3日に、彼ら(IS)は私たちのコーチョという村に侵入し、100人くらいが撃ち殺されました。男性たちをどこかに連れていき、わたしたち女性は学校に連れて行かれました。その後、彼らは若い女の子だけをモスルに連れていき、2日後に2人の男性が来て、私と2人のいとこはシリアに連れて行かれたのです。彼らは私たちを空き家に連れて行って、3日に1回来ては、強姦して去って行きました。彼らは食べ物を買ってきて、私たちは自分たちで食べたいものを料理していました。何人かの女性たちがヤジディ教徒を助けている男性に電話をかけ、自分たちの住所を知らせた。その人は別の男性を送り、逃げるのを手助けしてくれました。朝4時に男性が来て、11人(2人は子ども、それ以外は女性)を車に乗せた。そして2015年6月19日にドホークにたどり着きました。両親と兄弟らはまだISISに捕まっており、何の情報もありません。」
(後日、親せきは解放の手助けをしてもらうのに、1人5600ドルを支払ったと話している。)
その時に彼女は、自分以外の家族の肖像画をかいて無事でいてくれることを願っていた。ハナーンさんは、自分の娘とかぶさったという。その年の秋には、「実は、イラクを去ることを決めたの」と打ち明けた。目には涙を浮かべていた。「日本人が、私たちを助けてくれているのに、逃げるなんて申し訳ない」という。
イスラム国は、まるで流星のように突如現れたように日本では報道されたが、少数民族への蔑視は、今に始まったものではないから、隣人がいつ自分たちを襲ってくるかもしれないという不安が付きまとう。歴史上74回自分たちは虐殺を受けた。75回目はいつ来るのかと。
ハナーンさんは、トルコの山を越え、ギリシャの海を渡り、今はドイツで暮らしている。そんな彼女にも、ノーベル賞を上げたいし、アマルちゃんも、ノーベル賞を上げたいなあと思う。そして、がんで亡くなったナブラスちゃんも! 今年のノーベル平和賞は、性暴力がテーマのようだが、ヤジディの人たちのことを忘れないでほしいと思う。
彼女たちの苦しみを、残虐なISの男どもの性暴力という風に位置づけるのではなく、やっぱり日本が加担したイラク戦争が生みだしたIS。その結果犠牲になってしまった少数民族の女性たちの悲劇である。おめでとうと言いながらも責任を感じてほしい。