その店は壁が一面ガラス張りで、窓に向けて設えられたカウンターに並んで座ると夜の街を見下ろせた。ライトを点けたタクシーやバスが、駅前のロータリーをゆっくり回って大通りへと出て行く。小籠包。黒キクラゲの黒酢和え。青菜炒め。スペアリブ。ピリ辛のワンタン麺。私たちが一緒に食事をするのは一年ぶり。それでも久しぶりという気がしないのはインターネットのお陰。ヨーロッパと東京、遠く離れた場所で暮らしているのに、LINEで頻繁にやりとりをしているため、私には、彼女が大阪あたりからふらりと上京した友人のように感じられるのだった。
私が暮らす街は外出自粛要請に留まったけれど、彼女が暮らす街ではロックダウンという措置が数回取られた。中でも春のロックダウンは厳しく、運動と買い物のための外出時間が一日にわずかに与えられ、それ以外は家にいなければならなかったという。
もちろんその時期も私たちはビデオ通話で連絡を取り合っていた。でも、話題の中心はもっぱら配信動画の情報で、最近観て面白かった作品を教え合う、それは新型肺炎がそれぞれの街で広がり出す前からことだ。
家庭内感染を防ぐため、春から秋まで、妹家族と同居している母を私の部屋で預かっていたこと、その中でも私は途切れることなく仕事を続けられたこと、精神的退屈を回避するためオンラインで大学の講義を受けていたこと、それらは既に彼女には話してあったので、新たに報告することは特になく、私たちはせわしなく箸を口に運び、頼みすぎたかと心配した料理はすべて平らげた。台湾料理のチェーン店だが、どれを食べても美味しいと彼女は舌鼓を打った。この店に来るのは初めてだと言っていた。
店を出て、エレベーターに乗ると、私は1階のボタンを押した。他に乗客はいなかった。
ふと彼女が「大変な一年だったね」と呟いた。
自分の履いた紫色のアンクルブーツのつま先を見ることもなしに見ていた私は、その言葉に「そうね。でも、私、あんまり大変だと思わないようにしているのよ」と返した。
「だって、考えてみたんだけど、私、そんなに大変じゃなかったんだもの。昼寝して、マンガを読んで、配信だけど映画も観て、結構楽しくやっていたから」
青白い光の下だと、バックスキンの紫色は茶色に見える。
「それはさ、仕事をなくしたひととかは大変だったと思うけど」と続けると、「実際かかっちゃったひととかね」と彼女が付け加えた。
「そうそう。だから、そんなに大変でもなかった私が、大変だった、大変だった、って言うのは違うかな、と思って」
6、5、4。階数表示の数字が順番に光る。
「確かに。旅行はできなかったけどね」と彼女は言った。
3、2。
「それはね、残念だったよね」と私が返す。
モロッコに行けたら。キューバもいいね。ギリシアにも行ってみたい。去年の今頃、そんな話をふたりでしたことを思い出した。
1。
エレベーターの扉が開く。ビルを出ると、通りには冷たい風が吹いている。
駅前の広場は、電飾がいつもよりキラキラと輝いている。
そうか、来週はクリスマスなのか。
ふと頭をよぎる。
どこかで途方に暮れているひともいるのだろうなあ。
ちょうど目の先にあるガードレール。あそこでいつも帽子をかぶった男性がホームレス自立支援の雑誌を販売している。
私はこの冬、ストールを新調した。それは奮発しただけあって、厚みのあるカシミアで、とても温かく、今日も首に巻いている。
私のことは放っておいてもらっても(いまのところ)大丈夫。だから、私は神様というものがいると思ってはいないけど――もしも神様がいるならば、私には必要のないその手を、どこかで途方に暮れているひとに差し伸べてくれればいい、と思った。
台湾料理のレストランでは、小さな音でクリスマスソングが流れていた。
もろびとこぞりて、
諸人こぞりて、
だれもがこぞって、
大変だったと言うけれど、
私はそれほど大変ではなかった。
「大変」は、本当に大変なひとのための言葉。
「大変」は、きっと彼らにとって大事な言葉。
だから、大変ではなかった私はその言葉を使わない。
2020年、私はそう決めたのだ。
心の中でくちずさむ。
それは、私が好きなクリスマスソング。
もろびとこぞりて、
諸人こぞりて、
だれもがこぞって、
大変だったと言うけれど。