仄暗い宇宙時間

西荻なな

 朝まで一度も起きずにぐっすり眠ることから遠ざかって久しい。夜中に一度、日が昇る前の早朝に一度、泣いて目を覚ました子どもが泣き止むまで、授乳をしたり、背中をトントンして寝疲れるのを待つ。わずか数分のこともあれば、時に一時間にも及ぶこの真っ暗な時間のあと、子どもの眠りに引きずり込まれるように再び寝入ることがほとんどだが、その先に訪れる細切れの夢の数々に絡め取られていた、と気づくのは起床して子どもの世話をして一段落した頃だ。早朝に見たのか夜中に見たのか判然としない、しかし細部までくっきりとした夢の場面が、次々につながって脳裏を駆けめぐる。まるで人生が過去から現在まで巻き戻されるような不思議な夢の現実感に、現実と夢があべこべになる。

 子どもが起きる時間が身体に自然と組み込まれたいま、夜中も早朝も、その泣き声を聞く前に意識だけははっきりと覚醒していて、子どもが泣いて起きるのを眠りの中で待っている自分をはっきりと眺めている。それは長い夜の中で、いちばん輪郭のはっきりした時間だ。子どもがようやく寝てくれた、今日は早く寝てくれてよかった、などと思うそばから、その何より手応えのある雑感はたちまち断片的な夢の中に溶かされていくのだ。

 世の中に出てきた赤ちゃんが、一晩ひとりで眠れるようになるまでの時間、遡れば胎児の時期から始まるこの夜の断片的で広大な時間の流れに、多くの母親は引きずり込まれるのだと思う。果てのない海のような時間に身を委ねていると、すっかり慣れた地球から切り離され、宇宙に漂流したような気持ちになる。ようやく以前のように夜通し眠れるようになった、と安堵を覚える日はまた乳児期の終わりに等しいのかもしれない。この仄暗く甘美な、円環的な時を懐かしむ時もいつかやってくるのだろうかと未来に思いを馳せながら、いまはまだこの宇宙時間に浸っていたい感傷に駆られる。