風が吹く理由(2)目覚めの朝

長谷部千彩

母は33歳の時に家を建てた。私が幼稚園に通い始める前のことだ。
家を建てる土地は、それまで借りていた家の向かいにあったから、工事の間、時々様子を見に行っていたはずだが、私にはその記憶がない。
父がどう思っていたのかは知らないが、母は合理的な性格だったから、どうせ家賃を払わねばならぬのなら、そのお金を住宅ローンに回したほうがいいと考えたのだろう。また、幼い私が、家の襖という襖に憑かれたように絵を描くのを、手狭な家で暮らしているストレスだろうか、と随分心配したようで、子供たちが走り回れるような壁の少ない風通しのいい家、庭の大きな家に引っ越したかったとも言っていた。
しかし、後に家族全員が東京暮らしとなり、いまその家に住む人はいない。

私自身は、親元を離れてからずっと賃貸住宅で暮らしている。
家を建てようと思い、小さな土地を買ってもみたのだが、諸々億劫でいまだ更地のままだ。
いまになってみれば、家を建てようなどと考えたのも若さゆえの思い立ちだったのかもしれない。
むしろ、年々強く感じるのは、私には家に対する執着がないということだ。
雨露をしのぐ場所がなくては困るが、どこかに定住したいとは思わない。家庭を築きたいという願望もない。
もしも、金銭に恵まれるならば―そして私の荷物が減らせるならば!―ホテルで暮らすのが一番の理想だ。

それが自分の本心だと私が気づき始めた頃、母が聞かせてくれた話がある。
家が落成し、引っ越しを済ませ、その家で初めて眠った翌朝のこと。
目覚めて真っ先に母の頭に浮かんだのは、「当分はここから動けない」ということだった。そして、その現実は母の心をどうしようもなく滅入らせたのだという。これから新しい生活が始まるのに、ちっとも嬉しくはなかった、と。
家を持つことの良さは、持ったひとにしかわからない、と言っていた母の口からそんな言葉を聞くなんて。
私はとても驚いて、また、私が漠然と感じている家に対する足枷のイメージを、若かりし頃、母も抱いていたということに、普段は性格の違いばかりを感じるけれど、こういうところはやはり親子なのだろうか、と思ったりもした。
一方、妹は既に家を建て、子供をふたり育てている。
どうやら母の現実的なところは妹に、気分屋なところは私に流れたらしい。
いつか妹に、目覚めの朝、どんなことを考えたか、訊ねてみたいものである。