風が吹く理由(9)なくなる日まで

長谷部千彩

「お正月なんて大嫌い、なくなればいいのに」と彼女は言った。
一瞬呆気にとられるも、私もすぐさま言葉を返した。
「私も!なければいいと思う!」
週末のビストロは満席だ。テーブルにはキャンドル。雑居ビルの中の小さなヨーロッパ。若い女性向けの店はどこも内装が似ている。彼女と私は、なかなか運ばれてこない料理を待っている。
彼女は年末ミラノに行くという。ひとり旅。
「いいなあ、私もどこか行こうかなあ」
頬杖をつきながら、ため息をつく。もちろん私も行くならひとり旅。
「ひとりが好き」と彼女が言う。
「ひとり、いいよね」と私が続ける。
仲間がいた、と私は心の中で、ほくそ笑んだ。ひとりが好きな仲間たち。それからふと、彼女のお母様が他界されていることを思い出す。
「お正月なんて大嫌い、なくなればいいのに」

「正月だからと言って帰るところもないし」
東京生まれ東京育ちの彼は言う。
「何が嫌かって、ほんの何日か休むだけのために、前倒しにして仕事を片づけなきゃいけないっていうのが嫌なんですよ」
それは私も同感だ。12月中に片づける必要のない仕事まで年内に終わらせようとするのは何故なのか。今年のうちに、という合言葉。よいお年をというご挨拶。
「で、今年のうちにとか言って、結局、終わらないんですよね」
「終わらないね」
窓の向こうに見える大きなクリスマスツリーの前で、カップルが写真を撮りあっている。あのクリスマスツリーに吊るされているのは、毎年同じオーナメント。枝の先に煌めく無数の赤いしずく。さすがに見飽きた。

「お正月、いらない!」と彼女も言った。
「忘年会とか無駄なパーティとか多くて嫌!」
「普段通りがいいよ、普段通りが」
矢継ぎ早に繰り出される彼女の言葉の尻馬に乗って、私も言葉を重ねる。
「休みっていっても、私たち、こぼれた仕事やっているしね」
そう、休暇の気分が味わえるのは、通勤から解放される会社勤めの人たち。フリーランスで働いていると、やり残した仕事が休暇中の宿題になってしまったり、年明けに控えた打ち合わせの準備をしていたり。完全に仕事から離れるのは難しい。

子どもの頃は、年が変わることが特別なことに感じられた。
大晦日の夜は本当に一年が終わるように感じ、元旦の朝は本当に一年が始まったように感じた。
家族はみんな家にいた。店はどこもシャッターをおろしていた。街は静まり返っていた。
それがいまでは大晦日の夜もコンビニエンスストアは通常営業を続け、デパートでは二日から初売りが始まる。休むひとより働く人が多い、いまどきの正月、昔のようにおせちを食べながら三が日を過ごす人がいったいどれほどいるのだろう。少なくともここ東京では。

私は呟く。
「お正月なんてなくてもいいという人が、私のまわりだけでもこんなにいるんだもの、いつかお正月はなくなるかもね」
「なくなるかな」
「可能性はある」
大人の師走の夜は更けゆく。
「だって、所詮暦なんてひとが作ったものだし」
「それはそうだ」
「ひとが作ったものに絶対なんてないわよ」
「確かに」
私の言葉に彼は笑った。彼女も笑った。みんな笑った。笑い声とともに吐き出される白い息が、冬の空に溶けていく。
「なくなればいいね」
「みんなでそう願えばきっとなくなる」
「そうだね」
「うん」
ならば、いつかお正月がなくなる日まで、どうぞよろしくお願いします―。私は心の中でぺこりと頭を下げた。いつかお正月がなくなる日まで。