アジアのごはん(20) バナナの花は大人の味

森下ヒバリ

バナナの花というのをご存知だろうか。形はみょうがを十倍ぐらい大きくしたようなつぼみ型である。萼が何十にも重なっていて、萼には内側にひとつづつ、おしべとめしべが付いている。外から順に受精していって皮をはぐようにその部分が小さなバナナになっていくので、バナナが実っている姿は、幾つものバナナが房になり、その房がまた三重か四重になっている。そして、その房の先にはまだバナナの花が着いている。

つぼみの形をしているのでひとつの花と思いがちだが、何十個もの花の集まりなのだ。タイやラオスでは、このバナナの花を食べる。バナナの花の内側の方の柔らかい部分をたべるのだが、そのまま齧ってみると、めちゃめちゃ渋い。

「なぜ、こんなものを食べるの?」タイに通い始めてから何年も、いや十年近くは、ずっとそう思っていた。そう思って、バナナの花の存在を無視していたのである。

バナナの花は、焼きそばに似たパッタイという米麺のナムプラー炒めの付け合せとして生で添えられるほか、スパイシーな料理の付け合せとしていろいろな生ハーブが添えられるときに、その一種に入っていることもある。バナナの花とエビやイカなどをココナツミルクで甘く和えた、ヤム・フアプリーという料理もあるが、味つけが甘ったるくてあまり好きではない。あとはカノムチーンという米の押し出し麺のたれに、バナナの花を使うものがある。

バナナの花の味に目覚めたのは、ラオスの首都ビエンチャンでのことだった。ビエンチャンに行ったときには、メコン川辺りの屋台で必ず食べる料理があり、ネーム・カオ・クルックと言う。タイ東北部にもあるが、断然ビエンチャンのものがおいしい。ネームとは豚肉のなれずしである。発酵ソーセージと以前は思っていたが、製法を知れば、なれずしであった。

このネームは、ごはんコロッケを潰したものと和えて、レタスや大きめの葉っぱの上に乗せ、各種生ハーブと揚げたトウガラシをのせて包んで食べる。この料理がなんともおいしい。生ハーブには、名前を知らないいろいろなものがある。よく知られているものはミント、バジル、パクチーぐらい。

あるとき、このハーブの中にバナナの花が入っていた。
「おいしいね〜。あれ、これは何? へえ、バナナの花。これも入れてみようっと」
「え〜、それかなり渋いよ」

初めてラオスに一緒に行った友人はすっかりこのネーム・クルックが気に入り、ハイテンションでわたしの言うことも気に留めず果敢にいろいろなハーブに加えて、バナナの花も少しちぎってネームに加え、レタスに巻いて口に入れた。
「んん。さっきより、おいしい!」
「うそ・・」

ところが、そのままでは渋くてとても食べる気のしないバナナの花は、ネーム・クルックに少し入れると、その渋みが味を引き締め、全体のおいしさをぐっと上げてしまうのであった。なんというか、背後に回ってしっかり味をまとめるというか、味の複雑さを取り仕切るといおうか、とにかく味に深みが出るのである。
「なんてことを・・今まで入れてなくて損した〜〜」

それ以来、ネーム・クルックには必ずバナナの花を加えて食べるようになった。これにはバナナの花のほかにも香菜のパクチーや揚げトウガラシも不可欠なのであるが、最近は、外国人になれてきた店主のラオス人のおばちゃんなどが、これ外人は食べないでしょ、と勝手に思ってろくにハーブの入っていないハーブセットを出してきたりすることがあり、そういうときは断固として要求しなくてはならぬ。

ビエンチャンのメコン川辺りには、メコンに沈む夕陽を見ながらラオスビールのビアラオを飲み、ごはんを食べることのできる屋台がたくさん出ているのだが、ここ数年どうも味が低下してきている。タイと橋でつながり、観光客がふえ、外国人の客も多いせいか、なにか手抜きで、外国人に迎合した味の店が増えてきたのが残念でならない。

そうこうするうちに、また最近あらためてバナナの花に目覚めた。タイにはパッタイという米の麺を炒めた料理がある。たいへんおいしくて簡単な料理なのだが、店によっては麺がベタベタだったり、激甘にするところがあって、味のレベルの差が激しい。なので、味をよく知っている店でしか食べないようにしていた。
バンコクの定宿の近くにあったパッタイ屋さんがなくなって、しばらくパッタイをあまり食べていなかったのだが、また近所に店が出来た。さっそく友人と一緒に食べに行く。
「この店、おいしいといいなあ」
「甘くしないで、とちゃんと言えばいいんちゃう?」

とりあえず、初めての店は食べてみなければ分からない。作り手のお兄さんは、誠実そうで、てきぱきと麺を炒めている。出来上がったパッタイは、たいへんおいしかった。そして、通うことになるのだが、この店でもときどきバナナの花が付け合せについて来た。それまで、パッタイについてくるバナナの花は、少し齧るぐらいで、ほとんど食べなかったが、ふとラオスのネームを思い出した。
「ねえ、このバナナの花も、小さくちぎって混ぜて食べたらおいしかったりして」
「あ、そやわ。ネームを食べるときみたいに・・」

タイ人のパッタイの食べ方を見ていても、むしってそのまま食べる人はいても、細かくちぎって麺に混ぜ込む人は見たことがない。しかし試しになるべく柔らかそうな萼を選んで混ぜてみると、やはり、ぐぐっとおいしくなったではないか。
「く〜っ、なんでもっと早く気付かなかったんやろ〜」
「まあ、気付いたからええやん・・」

このとき初めて、バナナの花がパッタイの付け合わせとして存在している価値が分かったのである。タイと付き合い始めて、パッタイを食べ始めてもう二十年近くなろうというのに・・。ビエンチャンでネームとバナナの花の相性に目覚めてからも数年が経っていた。渋さというのは、なかなか一筋縄ではいかない味であることよ。

それにしても、タイ人はこのすばらしい渋みの効用に気付いて添え物としておきながら、食べない人も多いし、それになぜ混ぜ込んで食べないのだろう。そのまま食べても渋いだけなのだが。渋さに強いのか? う〜ん、口の中で混ぜているのかしらん?