アジアのごはん(26)ごはんかけごはん

森下ヒバリ

タイ北部チェンマイの友人トクが、チェンマイから車で1時間半ぐらいの山の中にあるカレン族の村に遊びに連れていってくれた。カレン族は主にサルウィン川中流から下流域に古くから居住する民族で、ビルマ東部平原とタイの北西部山間部、南部タイの西側の山間部などに住んでいる。

トクはかつて土地問題のサポートをするNGOで働いていて、その仕事でふかく関わっていた村だという。そこに大好きなムーソーという人がいてぜひ会わせたいのだと言う。カレン族の文化を大切にしている村だと聞いて、やっと腰を上げる気になった。

ムーソーの高床式の家に泊めてもらう。ムーソーは村長であるが、大変気さくな人であった。11人も子どもがいるのだが、奥さんは1人だけで、しかも子どもは全員健在である。病院や医者のいない山の中の村では沢山子どもがいても、死んでしまう子も多いから、これは大変なことである。一番下の息子は11歳。

高床式の家の中には囲炉裏があり、そこで夕食をごちそうになった。持っていった川魚などをお母さんと娘が料理してくれたのだが、その煮込み料理はなんだか魚とは思えない味に仕上がっていた。もったりとして味の特徴のない野菜と魚の原形をとどめない煮込み。タイ料理とはかなり味わいが異なる。う〜ん? 白いごはんが山盛り。この煮込みを食べながら、カレン族の料理には期待しないほうがいいなあ、と白いごはんをたっぷりおなかに詰め込む。

翌朝起きてみると、庭では朝ごはんのための炊飯中であった。まっ黒に燻された鍋が七輪の上に乗って、白い湯気を立てている。七輪には長い薪が無造作に突っ込まれている。朝のすがすがしい空気の中、ニワトリや黒豚の子ブタたちが走り回っている。ムーソーの家には動物たちがとても多い。大きな黒豚のつがいが一組、その子ブタたちが6〜7匹、犬が大小4匹、ニワトリが10羽ぐらい、ネコなど次から次へと現れてくるので、いったい何匹いるのかよく分からない。家族構成も、すでに結婚している娘や息子などの家族が入れ替わり立ち代り現れるので、これまたよく分からない。

カレン族のふだんの主食はもち米ではなくふつうに炊いたうるち米である。山の畑で陸稲を育てている。カレンライスと呼ばれる陸稲は粒が大きく、一粒一粒の存在感が大きい。朝ごはん、と家のテラスの床に置かれた花柄のほうろうの大きなお盆には、ごはんがドンと盛られ、真ん中に卵焼きが数枚、ちりれんげが何個か置かれているだけ。ムーソーがほうじ茶をやかんに入れて出てきて、配ってくれる。みんなでその盆からごはんをとって食べて、朝ごはんはおしまい。食べている最中にネコたちが人間と同じように盆のまわりに集まって来て、ちんまり座って残り物を待っている。

今日はこれから、村人が何十人も出て、山の尾根沿いに落ち葉かきをするというので、手伝いに行くことになった。落ち葉かきは、毎年乾季に発生する山火事の火が村のほうまで広がらないようにするためらしい。尾根は山火事対策のために樹木が切られていて、広い道のようになっている。ここに積もった落ち葉を両脇に掃いて、燃えやすいもののない帯状の場所を確保するのである。

尾根にたどり着いたときには、すでに男女別の2〜3グループが道を掃いていた。ムーソーの長男で、NGOで働いているヨンがその辺の木の枝を払って、先が二股にわかれた即席ほうきを作って渡してくれる。適当に葉っぱを払いながら前に歩いていく。これをいくつかのグループが少し間をおいてやっていくので、ひとりの掃く葉っぱはわずかだが、最終的にはけっこう燃えるものの少ない帯状の道が尾根に沿って出来上がっていた。

昼ごろになって、やっと作業は終わり、昼ごはんとなった。涼しい谷のところで、炊事班がおかずを作って待っていた。大きな鍋がふたつ、ドンと置かれている。さすがに身体を動かしたので、おなかが空いた。村人は米飯だけは持参してくることになっているようで、それぞれバナナの葉に包んだ弁当を持っている。
「しまった、お弁当、忘れてきた・・」

ムーソーの家のお母さんが、バナナの葉でピラミッド型にきっちり包んだ大きな米飯のお弁当を作ってくれていたのだが、出掛けに持ってくるのを忘れてしまった。ヨンがだいじょうぶ、だいじょうぶ、と言ってすぐに友人に声をかけて、同じようなバナナ・ピラミッド弁当をいくつも持って戻ってきた。

包みを解くと、中身はすべて飯である。すごい量。どんぶりめし2杯分はあるな。包んであるバナナの葉っぱがそのまま皿になり、ごはんを崩しておかずをかけて食べるのである。お椀に鍋のおかずが小分けされて、食べろ食べろと前に置かれた。ちりれんげもどこからか貸してくれた。手で食べている人も多い。おかずは青菜と豚肉の煮込み、もうひとつは青菜と豚肉の入ったどろりとしたお粥である。

なんだ、2種類とも同じ材料かあ・・。昨夜と今朝のムーソーの家での食事を思い出し、あまり期待を込めずに青菜と豚肉の煮込みをご飯にかける。口に入れたとたん、「おいしいっ」と声が出た。う〜ん、このコク、豚肉はきっと村の黒豚をつぶしたものであろう。ムーソーの村には黒豚しかいなかったもんな。菜っ葉もうまい。絶妙。ごはんに青菜と豚肉の煮込みをさらにかけてばくばく食べる。はあ、しあわせ。

青菜と豚肉のお粥もれんげですくい口の中へ。あ、これまたうまいじゃないの。でもすこし味が濃いかな・・と隣りのヨンを見ると、なんとお粥をごはんの上にかけて、おかずかけごはん、ならぬ、ごはんかけごはんにして手でまぜて食べているではないか。よく見ると、お粥をそのまま食べている人は誰もおらず、皆ごはんにかけて食べている。お粥といっても、かなり濃厚なお粥である。これをごはんにかけると、あんかけごはんのように見えないことも、ない。

このお粥は「タット・ホーポー」という名前の料理らしい。ごはんをごはんの上にかける、という料理を見たのは初めてである。かなり抵抗はあったが、カレン族の料理なので、とりあえず味わってみることにした。ごはんにお粥をかけて・・と。

なんだこりゃ。う、うまい! おかずとして濃い目の味つけなので、ご飯にかけて、まぜて食べると完璧。これまたばくばく。いつのまにかあの山盛りごはんがなくなっていた。お代わりは? と回りからピラミッド弁当がさらに差し出されるが、さすがにそれはお断りした。じゃあ俺が、と隣の男が受け取って包みを開いて第二ラウンドを開始する。そちらは赤米入りのごはんであった。

弁当はピラミッド型包みでなく、まん丸ボール包みもある。各家でそれぞれ米飯の内容や包み方も違うようだ。ビニール袋にご飯を入れてきている男もいたが、彼はややわびしい風情をかもし出していた。残り物ももらっていたし、一人暮らしなのかもしれない。妻に逃げられたとか。

皆が食べ終わった頃、食べるお茶のミアンが回ってきた。北タイで食べられているお茶の漬物である。少しとって、岩塩の粒と一緒に口に入れる。はじめは渋いが、塩が溶けて、ガムみたいに噛んでいるうちに口の中がさっぱりしてくる。噛み終わったら口に残った葉っぱの筋は捨ててもいいし、飲み込んでもいい。液体のお茶を飲んだ後と同じように、口の中が涼やかで、なかなかのものである。もっとも、北部でも町では若い子はだれも嗜まなくなっている。年寄り臭い嗜好品、ということらしい。

たった三度の食事をご馳走になっただけで、カレン族の食事が米飯を中心に回っていることがようく分かった。ごはんかけごはんが意外に美味であることも。ちょっと違うけど、うどんやお好み焼きをおかずに白飯をおいしそうに食べるウチの同居人(関西人)を笑えなくなってしまった・・。