アジアのごはん(42)さばの味噌煮

森下ヒバリ

二か月ほどのタイの旅から関西空港に戻り、乗り合いタクシーで京都まで戻ってきた。関西では、空港から京都や神戸などにある家の玄関先まで送ってくれる乗り合いのタクシーがある。電車より時間はかかるが、荷物の多い帰りは、身体が楽なので、毎回これにしている。乗り合いなので、いろいろな方面の客の自宅を回っていると、けっこう時間がかかる。そこで、最近は京都の南インターを降りたところで、もう一回客を振り分けるという細かいサービスになった。もちろん料金は同じで、荷物も全部乗務員が移してくれる。そこでミニバスから別のタクシーに乗り換えるため、外におりてちょっと待っていると、道路の向い側でひらひらとはためく幟が目に入った。

そこに大書してある文字は「さば味噌煮定食」。あ、食べたい。ファミレスのような食堂の幟から目がはなせない。さば味噌煮定食、さばみそにていしょく。頭の中でこの言葉がぐるぐる。思わず、「もうタクシーはここでいいです」と店に駆け込みたい(どうすんだ、この荷物・・)のをぐっとこらえタクシーに乗り込む。もう夜遅いので、家に着いても近所で食事できるところもスーパーも閉まっているし、さば味噌煮を食べられるような店まで遠出する元気もない。ああ、さばの味噌煮でほかほかごはんを、たっ、食べたい。

まるで二か月間、日本食を口にしていないかのような、狂おしい気持ちである。もちろん、この間バンコクで何回か日本料理屋には行ったし、バンコク伊勢丹のスーパーでお持ち帰りの巻き寿司とかも買って食べたりしている。しかし、どうも今回の旅では、インフルエンザで寝込んだせいか、日本食を食べたい気持ちがかなり大きかった。

というわけで、さっそく自家製「さば味噌煮定食」。鍋に水、酒、醤油、みりんを適宜入れて煮立て、さばの切り身を入れる。水分は少なめ。ショウガの千切りをたっぷり。味噌を大匙一杯。あまり煮込まないでいい。煮汁だけ煮込んでどろりとさせる。圧力鍋でつくると身がふんわりと作れる。この場合、圧力時間は4分ぐらいでいい。圧力が下がったら味噌をもう少し加えて少し煮つめる。20分も圧力鍋で煮ると、骨まで食べられるようになるが、味がまるで缶詰みたいになってしまうので注意。

家ではもっぱら酢で〆た〆さばを愛食していて、味噌煮はあんまり自分で作ったことがなかった。一度目はなかなかおいしくできた。でも、味の染みこみがいまひとつ。作ってちょっと置いておいたほうがいいか。二度目に作ったとき、みりんを入れたつもりが、よく見るとわたしの手が握っていたのはお酢のビンでした。あ〜失敗、と思ったが、イワシの梅干煮とかもあるので、たぶん大丈夫だろう。みりんとメキシコみやげにもらった竜舌蘭のシロップを加えて調理続行。煮るとお酢の酸味はほとんどなくなり、むしろ味のキレがよくなった。酢は使えます。ほどよく甘辛いさばの味噌煮、炊き立てのご飯、きゅうりと大根のぬか漬け。わかめのみそ汁。いただきま〜す。ああ、この味、香り、歯ごたえ。身体も心もよろこぶ料理。

ここ数年、旅行中に日本食を食べる回数が増えてきている。はじめはなんだか自分が軟弱になったような気がしたものだが、いやいや、やっぱりわたしの食の基本は日本食で出来ているわけだから・・ってやはりトシのせいか。外国にいてもおいしいおそばが食べたい、うどんが食べたい、サンマと白飯が食べたい。大根の炊いたんが食べたいぞ。

タイ料理はおいしいし、屋台も食堂もたくさんあり、外食でも野菜がたっぷり食べられるし、恵まれてはいる。でも、やはり化学調味料の多さはしんどい。入れないでといっても、最初から入っているものはどうしようもない。しかもバンコクでは味のレベルが落ちて来ているのも感じる。かなり探さないと、満足できるレベルの屋台や店がないのだ。

時々でいいから自分で料理したい、味付けしたいという気持ちも強まってきた。外国の日本食レストランというのは、たいがい満足できたことがない。日本から食材を輸入しているような高級店なら別かもしれないが、現地の野菜、肉、魚、水を使うと味が違ってくる。調味料も、タイやマレーシア製の日本醤油だと、味がちがう。材料だけでなく、テクニックも厨房に乱入したくなるほどのレベルの店もある。

もう、こうなったら、タイでは台所つきのアパートを借りるか、炊事道具や食材を持ち歩くかしかないのかも。台所が始めから付いているのは高級コンドミニアムで、これは高すぎて無理。タイのアパートには、台所がついていないのがふつうなので(!)、じぶんで流しやガス台から鍋釜までそろえる必要がある。これを二か月位の短期滞在ではいちいちやってられないので、通年借りておくとなるとまた費用がかさむ。炊事道具を持ち歩く・・のは重いしかさばる。せいぜい、携帯用の電熱器に小さい鍋がセットされたものぐらいが現実的。これを入手するか。

今まで旅行の時には、太いコイルが一本ぐるぐる巻いている携帯電気湯沸しを持っていくだけだった。ステンレスのコップに水を入れて、コイルを入れてお湯を沸かすのだ。この電気湯沸しはたいへん有用で、電気が通じてさえいれば、どこでも熱いお茶やコーヒー、インスタントみそ汁などが飲める。外国で、その国の食事に飽きたり、疲れたときには、醤油味とかナムプラー味とか、みそ汁など馴染みの深い味のものを飲んだり食べたりすると、精神的なつらさがふわ〜っと和らぐ。旅先で病気のときにインスタントみそ汁や、どこでも入手しやすいショウガとはちみつで、生姜湯など作ったら感涙もののおいしさだ。この湯沸しで作ったみそ汁や生姜湯で、これまで何人の旅の同行者たちが「みそ汁がこんなにおいしいものだったなんて」「こういう味がほしかった」と涙したことか。

バンコクで高知在住の友達夫婦にばったり会った。大人になった息子二人との、しばらくぶりの家族四人旅行でインドに行ってきたと楽しそう。わたしたちのいるアパートメントホテルに引っ越してくるというので、待っていたら、すごい荷物を持ってやってきた。
「こ、これで、ダラムサラに行ったの・・?」「いや、前のホテルに荷物預けてきたから、もっと多かった」「ぼくたちインドでは自炊が基本だから、携帯コンロとか、米とか味噌とか乾麺とかも」「米まで持って歩いてんのお!」「じつはこっそりコンロの灯油も」おいおい、大丈夫か・・。

親二人は自炊しないと、すぐおなかを壊してしまうらしい。息子たちは、「おれたち毎日カレーでもぜんぜん平気だよ〜」と現地食を食べていたようだ。子どもが小さかったころ、現地食が食べられない子どものために自炊を始めたのが、いつのまにか自分たちのために自炊するようになっているのだった。

たしかに、インドのお米はヒバリも苦手である。カレー三昧の食生活も大変苦しい。しかし、わたしは重たい荷物が、もっと苦手なのだ。彼らみたいな完全な自炊でなくても、カレーの合間に市場でトマトやきゅうりを買って塩をつけて食べるとかすれば、あ、マヨネーズとかさばの水煮缶詰とかちょっと持っていってもいいかも・・。醤油も持っていけば、かなりしのげそうだ。火を使わない、もしくは湯沸しで出来るちょっとした自炊なら荷物もあまり増えない。

インドでは大都市にしか日本食や洋食レストランはないし、中華料理屋も脂っこい料理が多い。あとはひたすらカレー味ばかりなので、だんだん食事が苦痛になってくる。その限界値が、ヒバリの場合、今のところ二週間。なので、インド滞在は二週間と決めている。

しかし、持って行くものをくふうすればもっと長くインドにいられるじゃないか。うんうん、もうトシだし、いいじゃないか日本食たくさん持って行っても。旅先ではその旅先の食べ物を食べる、というのは主義ではなく、食べてみたいという気持ちからしていることなのだから。さすがに生米や灯油までは持っていこうとは思わないけどね。