アジアのごは ん(37)鉄分たっぷり・ほうれん草鍋

森下ヒバリ

いやあ、更年期というのはなかなかです。

人によって違うのだが、なかには気付かぬうちに終わった、という人もいる。うらやましい。更年期障害の症状がいろいろ出始めたのは去年の初め。春から夏にかけてヒステリーや虚無感に悩まされたのを、なんとかタイの薬草ガオクルアでしのいだと思ったら、今度は年末から生理で大量出血。死ぬかと思いました。

ふた月も生理がこないな〜もしや密やかに閉経したのかと思っていたら、いきなり豚のレバーみたいな(すいませんスプラッタな話で)血のかたまりが出て、貧血で倒れそうになった。その後も血と一緒に鶏のレバーぐらいの固まりが二日ほど出て、収束。その三日間は夜もほとんど寝られず、タンポンも役立たず、ふらふらと気配を感じるとトイレに。しかも大寒波でさむいと三重苦・・。

その後、五日間ほど出血がなく過ぎたので、ほっとしているとまた始まった。さすがに今度は豚ではなく鶏肝サイズでやや小さくなっているが、また血の固まりが出る。一週間ほど、また安眠できない日が続く。貧血で顔は真っ白、腕は細くなり、やつれ顔。こういう大量出血は更年期のひとつの症状であるらしいが、いったいいつまで続くのか? このままでは出血多量でやせ衰えて死ぬんじゃないのか・・。

いろいろ調べていると、固まりが出るのは子宮筋腫の疑いがあるとか。でも西洋医学の治療法は造血剤や鉄剤の投与で様子見、ひどいものは手術とかホルモン治療とかであるという。すごく身体に悪そうな治療法。閉経になるとなくなるものではあるらしい。しかし筋腫というのは、良性の腫瘍なのであまり気にすることはなさそうだ。とにかくストレスが一番良くないとのこと。漢方治療とか、生活改善などで直せるという情報もある。

考えたら、この大量出血が不安で、ものすごくストレスを自分で自分に与えている。これはいかん。最近、おざなりになっていた「ゆる体操」を初心に帰って再開する。気持ちいい〜〜とか、ふわ〜〜とか言いながら身体をゆるゆるとゆるめ、揺らす。おなかをなでていると、なんだか子宮が愛おしくなって「よしよし、長いことごくろうさん(使ってないけど)、ありがとう」という気になった。気分がとてもすっきりする。

次の日から固まりが出なくなり、ひと安心。しかし液体の血は出続ける。でも固まりではないので、タンポンが使えるし、いろいろ新発売のナプキンを試して高性能のものを見つけたので、なんとか外出も出来るようになった。貧血もほとんどなくなった。はあ〜。

そしてやっとほぼ終わったと思われる今日で、ほぼ三週間も生理の出血が続いたことになる。な、ながかった。三歳年上の姉が数年前に、生理がなかなか終わらないとこぼしていたのを覚えていたので、そういうものなのかと少し心構えが出来ていてよかった。

これだけ血が出たので、鉄分を補給しなくては。ちょうど、引き売りの有機八百屋さんにおいしそうなほうれん草がたくさんあった。そうだ、簡単で身体も心もあったまるほうれん草の鍋にしよう。この料理は、むかし愛知県の常滑の友達の家に居候しているとき、陶器を焼いているテッペイから教えてもらったものだ。「みじん切りというのはねえ・・こういうのをいうの。君のはザク切りだよ」と怒られたっけ。まだろくに料理が作れなかった頃だ。テッペイが韓国に行ったときに向こうの家庭でごちそうになったものをアレンジしたものらしい。

<焼物師テッペイのたぶん韓国風なほうれん草鍋の作り方>

材料は、ほうれん草2束〜好きなだけ、えのきだけ、豚肉薄切り しょうが にんにく。

鍋に昆布を入れてダシをとる。しょうがとにんにくを2〜3かけずつみじんに刻む。ほうれん草はよく洗って、大きいのは2つに切る。鍋のダシが煮えたらしょうがとにんにくをいれ、醤油で味をつけ少し煮る。ほうれん草とえのき、豚肉を入れて火が通ったら、黒胡椒の荒挽きをたっぷりかける。好みでトウガラシ、すだちやかぼすなどを絞るとさらにいい。

ええ、こんなに?というほどしょうがとにんにくを入れるとおいしい。あくまで極細かいみじん切りね。醤油はダシ醤油でもいい。豚肉はしゃぶしゃぶ用ロース肉が一番だが、まあ薄切りなら何でも。あっという間に火が通るので、お箸とお碗を用意してスタンバイしてから具を入れましょう。煮えたらすぐに食べること。醤油の代わりにナムプラーでもおいしいかと。

ほうれん草の赤い根っこの部分は甘くておいしい。でも砂が隠れていて、うまく取り除けていないと、まさに砂をかむ思いだ。水上勉の「土を喰う日々」(新潮文庫)には、沢山の料理と料理の心を教えてもらったが、この本の中に著者が等持院での小僧時代に水が冷たくて洗うのが大変なので、ほうれん草の根もとの部分を切って捨てていたら、和尚に「いちばん、うまいとこを捨ててしもたらあかんがな」と諭される話が出てくる。

疲れているときには、つい長めに根元を切って、捨ててしまうときもある。あるとき、近所のおからはうすという自然食の店をやっている手塚さんが、「こういうのはねえ、切ってお水に浸しとくと、勝手に出て行くねんで」と教えてくれた。根元のところを切り離し、半分に切って、水に放しておくと、土は水に溶け、砂は下に落ちる。念のため、料理の前にさっと洗うのも根元が開いていて洗いやすい。

すごく簡単な技なのだが、こういう料理上の細かいワザと言うのはじっさいに日々料理していないとなかなか分からない。日々料理していても、頭が固いとなかなか分からない。たとえば、鍋にこびりついたご飯の粒をむりやり洗い落とそうとしても大変だが、水を張ってしばらくおいておけば、するりと落ちる、みたいな。

家庭で親から子へと自然に伝えられることなのだろうが、高校は地元に行かず家を出て賄いつきの下宿生活だったので、家でほとんど料理を手伝うことがなかった。そのまま家は出てしまったし、大人になっても仕事が忙しくてあまり料理はしなかった。料理に真面目に取り組んだのは、新聞社をやめてアジアの旅に出て、タイに住んだりした後のことである。ふらふらしていたのでビンボーだったけれど、おいしいものは食べたい。すると自分でいろいろ作って、精進することになる。友達にごちそうになるときは手伝って教えてもらう。そうやって料理を覚えてきた。

疲れているときや、元気のないときにはほうれん草の根っこをざっくり捨ててもかまわないと思う。土に返したり燃やしたりして、またいつかどこかで地球の上を回りまわっていくだろう。大量に血を流した後、なんだか心がすっきりしているのに気がついた。細かいこともどうでもいいような気がする。もう人生の後半(終盤?)に差し掛かったことを子宮が教えてくれたのかな。でも、ほうれん草鍋のしょうが・にんにくみじん切りは細かく細かく・・なるべくね。