アジアのごはん(33)おでんのルーツ!

森下ヒバリ

おでんを作ろうと思い、いつもの引き売りの有機八百屋さんに電話した。年末なので配達のみの時期なのである。「大根と、板コンニャクと、ごぼ天とジャコ天ありますか? おでんの材料なんですが」「ごぼ天もジャコ天も、てんぷら系もちくわも売り切れです」

しまった。この店で扱っている練り物はとてもおいしいので、近所のスーパーの練り物だとおでんの味がかなり落ちてしまう。くっ、もっと早く注文しておけばよかった。

おでんに練り物はかかせない。練り物から出るダシがおでんのひなびた何ともいえないあの味をかもし出すのである。練り物が入っていないと、ただの煮物である。

まあ、牛すじとかタコとか鯨のコロなどを入れる地域もあるのだが、やはりおでんの具の三種の神器は1に大根、2にコンニャクそして3にごぼう天やジャコ天、ちくわ、はんぺんなどの魚の練り物だ。この三種はどれも欠かすわけにはいかない。それから好みで茹でタマゴ、焼き豆腐、じゃがいも、昆布巻き、厚揚げ、揚げのモチ入り巾着などなどと続く。

各家庭や地域の好みで、「なに言っとりゃーす、味噌煮込みだがね!」などと怒られそうなのだが、現在の日本でのいわゆる「おでん」の基本形として、コンニャク・大根・練り物が必ず入り、昆布や鰹などのダシ汁と醤油でコトコト煮込んだ煮物、といちおうここで定義しておく。

うちのおでんの基本のダシは昆布とかつお節。味付けはうすくち醤油とみりん少々。ほどほどにコッテリ味に仕上げる。関西風というとうす味、と思われる方も多いだろうが、関西の味の真髄はダシにあるのであって、関西の料理がすべからくうす味というのはまったくの幻想である。関西といっても大阪の料理はけっこうコテコテが多いし、京都でさえも下町は甘辛コッテリ味が大好きだ。

わたしの生まれは岡山だが、学生時代を京都で過ごし、出版社に就職して東京に出た。初出勤の日にいきなりサービス残業をやらされ、それでみんなで夕食に近所の店から出前を取った。わたしはおかめうどんか何かを頼んだのだが、それが届いて、箸をとったときのショックをいまだに忘れない。「う、まっ黒のダシ汁! な、なにこれ?」そして、そのうどんに口をつけたときのさらなるショック。「×××(自粛)!これ、お湯に醤油入れただけ?」

まあ、これは二十年以上前の話なので、東京のうどんのダシ汁も進化しているとは思うのであるが、好意的に言えば、東京では濃い目のしょうゆの味が麺にからむところを楽しむのであって、関西のズルズル飲んでおいしいダシ汁とは成り立ちが違う。つまり、関西で慣れ親しんでいた、ダシのようくきいた汁うどんとはあまりにも違ったのでショックを受けたのである。もっとも、箸を置いて、すぐさま京都に帰りたくなったのは、まあ事実であるが。

関西ではおでんのことをもともと「かんとだき」と呼んでいた。「だき」は「大根炊き」「お揚げと大根の炊いたん」などという関西風の煮物の呼び方の「炊き」である。「かんとだき」は、なぜか「かんと煮」または「関東煮」などと漢字では表記される。しかし「かんと」であって、「かんとう」ではけっしてない。

「おでん」のルーツは豆腐田楽にある、というのが現在のおでん業界、おでん愛好家などの主な意見である。その主張は、だいたいこんな感じである。<田楽は、茹でた豆腐に串を打ち、味噌をぬって焙ったものだが、それを「お田」と呼んでいた。(田楽が田楽と呼ばれるようになったのは諸説あるが、それはおいといて)それが、江戸時代に屋台で売られて庶民に大人気になる。江戸末期ごろ、それまでの屋台の焼き田楽が、味噌煮込み田楽、しょうゆ煮込み田楽になる。それが関西に伝わって、いままでの焼き田楽と区別するために「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれた。つまり、つゆだくさんの煮込み田楽は関東から関西に伝わったのものである。「関東煮」縮まって「かんとだき」と呼ばれ大人気となった。これが現在の「おでん」のもとである>

これらのおでん江戸起源説では、「かんとだき」の漢字が、「関東煮」となっているために煮込みおでんが関東から関西へ伝わったという根拠のひとつにされていることが多い。もうひとつの根拠は、江戸末期に江戸の屋台のおでんが、焼き味噌田楽から煮込み田楽に変わったから、それが発祥、というものだ。さらにおでんは濃いくち醤油のコッテリ味だから関東起源、とか。

「かんとだき」が関西でも「関東煮」と表記されるのは、どうやら日清戦争のときの兵士向けの自炊マニュアル冊子が始まりのようなのだ。この資料をどこかにやってしまったので、うろ覚えなのだが、その内容は「関西に、関東炊き・関東煮という煮物があり、簡単でおいしく大人数のために作りやすい・・」として紹介されていたのである。その後、「かんとだき」は文字表記が「関東煮」として流布することとなったと思われる。

しかし。だいたい関西人が、関東から伝わった煮物を「関東煮」などと呼んで重宝する、というのはどうも不自然である。関西人の気質としてありえない。しかもなんで「関東煮」で「江戸炊き」じゃないの? それまであった焙り田楽のおでんと区別するなら「煮込みおでん」でいいではないか。しかも江戸末期といえば大阪は堺が国際港で大変にぎわった商業都市。食い倒れの町でもある。料理も関西の方が格段に洗練されていた。ダシのきいていない江戸風の食べ物を当時の関西人が見下していたであろうことは想像に難くない。

まず、「かんとだき」が関東から伝わったものである、という説を聞いて思ったのはこういう不自然さであった。そこへ、「かんとだき」は「関東煮」ではなく「広東煮」である、という話を聞いた。「かんとんだき」の「ん」が落ちて「かんとだき」になったのであると。

大阪の日本橋道頓堀にある創業弘化元年(1844年)のおでん屋さん「たこ梅」の言い伝えによると、たこ梅の「かんとだき」は現在では「関東煮」と表記されているものの、初代が堺の出島の中国人(広東人)たちの煮物料理を食べて、こらウマい!と感動して自分で工夫して店で売り始めたのがはじまりだという。店の公式見解としてはおでんのルーツはいろいろな説があり・・、として自らがおでんのルーツであるという強硬な主張はしていないのだが、「たこ梅」の「かんとだき」は広東人の煮物を意味する「広東煮(かんとんだき→かんとだき)」であるとしている。広東人の煮物の名前は分からなかったようである。ちなみに「たこ梅」の「かんとだき」はまさに正真正銘「おでん」である。ん? 広東の煮物? おでんのもととなりそうな広東の煮物といえば、あれしかない。それは「醸豆腐(ヨントーフー)」だ。「醸豆腐」とは、もともと豆腐の肉詰めのことであるが、この豆腐肉詰め、魚の練り物各種、大根を一緒にスープ煮した料理も、「醸豆腐」と呼ぶ。この「醸豆腐」は広東人の移住者の多いシンガポールやマレーシアでは在住日本人たちの間でひそかに「おでん」と呼ばれて広東料理屋台で愛食されているという。

ちなみにタイでは、「醸豆腐」に麺を入れるバージョンが進化したものが、華僑があがなう魚つみれ入りの汁麺としてバンコクを中心に存在しており、「醸豆腐」の気配は汁麺の具にたまに現れる大根の炊いたのや3センチ角の肉詰め豆腐にかすかに窺えるのみである。

「たこ梅」に伝わる「かんとだき」のルーツの広東人の煮物が「醸豆腐」であるとすると、それまでかみ合わなかったパズルのピースがピタリとはまる。「醸豆腐」の特徴は具に豆腐と大根と練り物を入れることである。大根と練り物が重要なダシなのである。つまり、江戸の「煮込み田楽」が関西に伝わって「関東煮」になった・・という説では、煮込み田楽にいつから大根や練り物が入ったのか説明が付かない。現在のおでんの基本が「大根、こんにゃく、練り物」になったのは、広東人の煮物こと「醸豆腐」の存在抜きに考えられないではないか。

つまり、いま日本で「おでん」と呼ばれているものは、「煮込み田楽」と「かんとだき」とのミックス、もしくは「焼き田楽」が「かんとだき」化したものと考えてみたらどうだろう。このミックスの度合や、地域の特産物によって、味噌をぬって食べたり、コロを入れたりとかするような違いが出てくる。江戸で焼き田楽が煮込み田楽に変わったのも、実は大阪から伝わったと考えるほうが自然である。

ここまで書いてきて、「アンタ、なんか関東にウラミでもあんの?」という声が聞こえてきそうだが、ワタクシに個人的な関東の料理に対するウラミは、まったく・・いや、だからうどんにダシがきいてないって・・、いやありませんってば。