憲法「肯定デモ」ってどうだろう

小泉英政

ぼくはかつて「闘いという言葉を忘れようと思う」(『百姓物語』晶文社 1989年)という詩を書いたことがある。

  闘いという言葉で
  人を選別し
  闘いという言葉で
  人を差別し
  闘いという言葉で
  人を責めていた
  いつのまにか

これは自分自身へのいましめの言葉でもあり、新しい模索の出発の詩でもあった。

ぼくは「闘い」という言葉は封印したが、抵抗の精神を忘れたわけではない。ぼくなりに国や空港会社と向きあって来た。

今、世の中は大きな岐路に立っていると思う。2011年3月11日の東日本大震災、福島原発事故で多くの人々を恐怖におとしいれ、広大な大地と海を汚染したのに、再稼働に踏み込んだ安倍政権、特定秘密保護法、集団的自衛権を行使するための安保法制、そして、緊急事態条項でさらなる権力の強化をめざしている。平和憲法を変えようなんてとんでもない。

そのような動きに抗議する人々のデモが盛り上がっている。それに合流するのも一つの方法だ。でもぼくは、もう一つのデモを提案したいと思っている。それが「肯定デモ」。

デモというと、反対! がつくのが常識だ。何々反対デモ、何々を許さないぞ! そのスタイルが苦手な人もいるし、いていいだろう。それこそ表現の自由だ。

「SEALDS(シールズ)」の人々は従来のスタイルを大きく変えた。インターネットで彼ら、彼女らの姿を見て、ぼくは心を大きく動かされた。ぼくも国会前に行こうかと思った。彼らをひと目見たく。でもそれは、追っかけだ、彼らと合流するに見合う、自分なりのスタイルがほしい。

自分のスタイル、自分の表現方法、自分にしっくりするデモは? とずっともやもやしていた。そして、この提案に至った。

シュプレヒコール! とは言わない。「声を上げよう」と言う。
反対! とは言わない。「いいね!」と言う。

主語と述語をとりもどす。ぼくたち国民が主体なのだ。安倍政権が憲法を否定しようとしている。ぼくたちは憲法を肯定する。

  平和憲法いいね! と声を上げる。
  変える必要ないね!
  憲法9条いいね!
  基本的人権いいね!
  立憲政治いいね!
  主権在民いいね!

安保法制に反対する人々に対しているわけでは決してない。だから、安保法制反対いいね! と言う。

いいね! そうだね! と肯定の声を上げる。
どうだろう。賛成していただける方がいたら連絡下さい。