最後の月に

仲宗根浩

修学旅行に行った子供は十二月に入る数日前から制服は冬服になる。こちらも半袖ではいられなくなり長い袖の服を着たりする。それでも仕事中動くと暑いので羽織っているものを脱いだり着たり。

師匠より朝メールが来る。今年、久留米で行われた筝曲の賢順コンクールで琉球筝が一位になったこと、その演奏が筝曲の原型を響かせて素晴らしかったこと等々。前日に地元新聞で記事を見つけ、知っていたので昼ごろにメールを返信すると暫くして電話が来る。地元紙ではそんなに大きな扱いの記事では無かったことなど話をする。琉球筝の流れの一つは八橋流を習得したものが八橋検校の没後二十年くらいで沖縄に伝わった、と琉球筝の楽譜の序に記されていてその曲も記されている。であれば八橋検校が作ったとされる調弦の平調子はなぜ沖縄に残っていないのか、伝わったが手だけを残し調弦を変えてしまったのか、と疑問が残り、八橋流ではなく筑紫流ではないかと思ったりする。八橋流の名前が残っているのは長野の松代八橋流ぐらいしか今伝承しているものはないし、といろいろわからないことばりであるが。

いろいろ落ちてきてはニュースになり、落ちた現場には中傷の電話があったようで、まあこれもネットでの情報を受けてのことだろう、と思うが偏向していると言われる新聞、メディアが取り上げても電話をしたほうは受け付けないだろうし。偏向しているメディアと言われるが、編集というものが加わることで簡単に偏向するし、世に出ているメディアがなんらか偏向している、と思っていたらすべての新聞は偏っている、と論じる本が出ている事を知るが、そういう本が出たところで知らないひとは知らないし。中傷電話の記事でみた「沖縄人は戦闘機とともに生きる道を選んだのだろう。」というなかに「沖縄人」と言ってくれることに「日本人」と違う人々が生活している沖縄がある、ということで日本とは違うありかたがあってもよいし、自治や制度があってもよいということになるのではないか、と考えてみてもそこまで考えて「沖縄人」と使っているわけではないだろうし。

テレビでは相撲のことばがりで辟易。そういえばCD屋で働いている頃、相撲の雅楽のCDが出ていること、本場所とは違う民放主催でやっていた相撲トーナメントでちらっと演奏されていたのを思い出し。あの頃買わずに舞楽のCDを購入した。調べたら「古式 相撲の節会」というタイトルだった。