台風翌日の十五夜

仲宗根浩

旧盆が終わり、最低気温二十七度から二十六度に下がる。この一度の差で涼しくなる。最近こっちの暑さは最高気温でなく最低気温で決まることにやっと気づく間抜けぶり。

九月に入り一週間ぐらい、金沢在住のひとから仕事で沖縄に来ると、当日にメールが来る。近藤ねぇさんこと近藤恭代さんが突然やって来た。偶然にもメールが届く前日、水牛の本棚の数住岸子さんのエッセイを読んでいた。そこにも登場する近藤ねぇさんだ。お互い歳も歳だし今のうちに会ったほうがいいいかと思い、滞在中、こっちが仕事終わった夜の十一時半過ぎに会うことになった。高速で那覇まで行く。最後に会ったはいつだろう、という話になる。十五年前、沢井忠夫先生の葬儀以来だ。葬儀が終わり、悠治さん、高田和子さん、うちの奥さんとベビー・カーに乗ったうちの一歳児。葬儀場を出てそれぞれ地下鉄の駅に向かいわかれたとおもう。話題になるのは亡くなった方の思い出ばなし、それぞれの近況等々、二時間くらい。金沢の21世紀美術館の交流課長の肩書きを持つ近藤ねぇさんはお土産と美術館でやるイベントのちらしをくれた。帰りの高速午前2時、追い抜いたり追い抜かれたりした車は三台だけ。初めての深夜高速ドライブ。

その一週間後台風。まあなんとか停電もなく過ぎて行ったが月末の十七号は九月二回目の台風。十数年ぶりに停電をかましてくれた。職場では昼過ぎから停電のため一切の業務不能。そのため朝八時出勤から夜八時過ぎまで拘束状態。復旧は六時半。それからは業務用マシン三十数台のチェック。家に帰ると七時半ごろから停電。懐中電灯の灯りのもとで夕ご飯を食べシャワーをと思ったら電気スイッチのガス湯沸かし器はお湯がでず、水シャワーを気合を入れて浴びる。ラジオを聴くと昭和歌謡オンパレードの時間帯。どっぷり昭和歌謡に浸り寝る。翌朝、まだ停電状態。光回線の電話は停電時は使用できないため不便。夕方、職場に向かうため駐車場に行く。電動シャッターは停電のため反応なし。タクシーを拾い仕事先へ。夜になると十五夜お月さん。「ふちゃぎ」という豆がついた餅を仏壇にお供えし屋上で観月会をしたのは子供の頃。