アジアのごはん(49)10年ぶりのビルマごはん

森下ヒバリ

10年ぶりにビルマを訪ねた。「なんか‥、明るいよ!」ヤンゴン空港に着くと、以前に比べて人の雰囲気が明るく感じられる。以前あった重苦しい緊張感が、ない。

タクシーで街に向かう途中、道を行く人の服装の変化も目に飛び込んできた。男はもちろん民族衣装の腰巻ロンジー姿も多いが、ジーンズや短パン姿も多い。女の腰巻が花柄で派手になっている。以前は男女ともほぼ全員が地味なロンジー姿であった。乗った車も比較的きれいだった。運転手に「アウンサンスーチーの話をしてもよくなった、って本当か?」と尋ねてみる。「ドー・スー?」運転手は嬉しそうに振り返り(おいおい)答えた。「うんうん、本当だよ、何の問題もないよ」

ビルマ解放のシンボル、アウンサンスーチー(本人はビルマ語の年配の女性への敬称、おばさん、とか女史とかの意味のドーをつけてドー・スーと呼ばれるのを好む)が自宅軟禁を解かれたのは2010年11月。解放されても、またすぐ軟禁というのがこれまでの軍事政権のやり口であったので、今回もあまり期待していなかった。解放されてからのアウンサンスーチーの国内遊説のおりの人々の熱狂の激しさに、また銃口が向けられるのではとはらはらしていた。

それが、本人も熱狂する民衆も弾圧されることなく、アウンサンスーチーが国会議員の補欠選挙にNLD(国民民主連合)から立候補して国会議員になったのが2012年5月。もしや、今回のビルマの変化は本物かもしれない‥。ずっと関係を深めていた中国以外にもタイをはじめとするアセアン諸国・韓国・日本・欧米諸国が最後の市場とみてなだれ込むように投資や進出を始めているともいう。

わたしは毎年タイに何か月か行き、ついでにラオスやインドやマレーシアなど周辺の国々へも旅するが、ビルマに関しては、今回でやっと3回目の旅だ。初めて訪ねようと思っていたときに8888民主化運動(1988年の軍事政権への抗議運動)が起こり、たくさんの命が奪われ、タイにも政治難民、国境地域の少数民族の難民たちが何万人も逃れてきた。こんな軍事政権の国に行くわけにはいかない、とビルマへの旅を自粛すること十数年。2001年と2002年にヤンゴンとシャン州を旅したのは、やはり軍事政権下とはいえ、そこで人々がどんなふうに暮らしているのかを実際に見たかったからだ。どちらの旅も興味深かったが、やはり何気ないところにも表れる軍事政権下の抑圧感が苦しかった。

それから、10年。いまのビルマの改革は本当なのか、民主化は始まっているのか。行けば分かるというわけでもないが、その空気を感じることぐらいは出来るだろう、とタイからビルマへ足を延ばしてみた。

「しまった、そういえばビルマの料理は脂っこかったんだ。ビルマ語で書いてもらってくるの忘れたな〜」ヤンゴンに着いた夜、宿の人に近所で生ビールが飲めてご飯の食べられるお店を教えてもらい、出かけた。店の従業員の少年に英語でNO AJINOMOTO とかNOT OILYとか言ってもまったく通じない。初日ぐらいはいいか、とあきらめて無難な米麺の炒めた物とチャーハンを注文。「あれ〜、おいしい!!」「こっちのチャーハンもなかなかイケる!」わたしと、連れのYさんは一口食べて、叫んだ。はっきり言って、まったく味に期待はしていなかった。そう、10年間も旅する気が起きなかったのは、ひとえにビルマのごはんのまずさ、が一番大きな要因だった‥。
ミャンマービールで乾杯。地元の人がほとんどのこの店で、この味のレベルなら、これからの旅も大丈夫だろう。よかった、よかった〜。ミャンマービールはけっこうおいしいし、生も気軽に飲める。300mlの小ジョッキで600チャット(約60円)。

ながらく公定レートと闇(実勢レート)に大きな差があったビルマの為替だが、この4月からやっと実勢レートが公定レートになった。空港やアウンサン市場などにある銀行の支店、両替商でふつうに両替できるようになった。9月初めのレートは1ドル860チャット前後。しかし、両替を闇でしなくてもよくなったのはいいのだが、その銀行での両替に使うドル札や、ドル払いの航空券の購入にあてるドル札はピカピカの札でないと、断られれてしまう。ホッチキスの穴、書き込み、折り曲げ、しわがあるものはお断り、なのである。

出発前にその情報を得て、きれいな100ドル札をバンコクで探すが、これには苦労した。タイの銀行は、もともとあまりドル札を持っていない。両替商に行けといわれる始末。何軒も探して、けっきょくいつも使うプラトゥナームの「スーパーリッチ」でビルマに行くからきれいな札を売ってくれと頼みこんで、なんとか手に入れた。タイの両替商は、札をホッチキスで止めるは、ボールペンで書き込みをするわ、店の印のハンコを押すわと札に対する態度がたいへん即物的なので、そういうものが一切ないきれいなドル札を探すのはほんとうに大変なのである。

後からヤンゴンで合流するタイ在住の友人が、こちらも無事ドル札入手というので念のため見せてもらうと、やっぱりハンコが札に押してあった。時間がないと泣きを入れる友人に変わって、またスーパーリッチに出かけて行き、頼み込む。「タイ人がいまビルマにたくさん観光で行ってるから、ないのよね〜」とぼやかれる。

空港の両替所で「あなたのこの札は受け付けられません」ととなりの窓口で両替しようとした人が札を返されて困っていた。それを横目で見ながら、集めたドル札の中でも、たぶん合格ギリギリかな、というかすかなしわのある札を出してみると、合格。これで道中、問題なしだ。でも、日本の銀行ででも両替しない限り、ピッカピカの新札などはあまり手に入らないものだ。米国などから来た旅行者などは普段使っているものだから、くしゃくしゃ率は一番高そうだ。

こういう人たちはどうするのか。そこで闇両替の出番。ただし、レートは1〜2割下がる。銀行では米ドル、ユーロ、シンガポールドルしか替えてくれないので、日本円しか持っていない人も闇に頼るしかない。だまされるリスクもあるが、ほぼ国内でクレジットカードが使えないので、選択の余地はない。せいぜい、金や宝石店など信用できそうな店で替えてもらうしかない。

次の日の昼、とんでもなく大量に化学調味料の入った脂っこいスープ麺を食べてしまい、気持ちが悪くて吐きそうになった。アウンサン市場の観光客向けのような店だったのもいけなかった。さっそくホテルの人にビルマ語で「味の素を入れないで、脂っこくしないで」とメモ用紙に書いてもらう。「ヒンチョウモー・マテバネ」ヒンチョウモーがアミノ酸系化学調味料、マテバネが入れないで。このメモはその後、大活躍。作り置きしているビルマ料理には効き目がないが、その場で作ってくれる店では、油戻し煮といわれる油を大量に使うビルマカレーでさえも、油に悩まされることなく、おいしくいただくことができた。

10年前には調味料、油の質がとにかく悪かった。いいものが市場になかったのだ。それだけでなく、おいしく食べようとする気持ちさえもが感じられなかった。いまは、人々はにこにこと笑い、食べることを楽しみ始めているように思える。

ネウィンから続く将軍様の専制君主系譜のタンシュエ将軍が引退して、後を引き継いだのがいまの大統領テインセインだ。テインセインは2007年から首相を務めていたが、将軍様のタンシュエが引退した2011年に首相ポストを廃止して、大統領になった。それから改革が大きく進んできた。中国と米国の政治的駆け引きとか、思惑とかいろいろあるのも事実だろうが、これだけ外国資本が入り込んで来たら、もう後戻りはできないし、圧政に戻る意味もないだろう。これから10年、ビルマが経済発展をし続けることは間違いない。