三月十一日、カッチンに行く

仲宗根浩

イレギュラー出勤のため、お雛様の土曜日休みになった。東村つつじ祭りに行く。高速の終点、許田インターでおりて国道58号から世冨慶(よふけ、読めるかいっ!この地名。地図のルビで初めて知る)から右折、329号線に入り東海岸に横断。大浦湾に出でさらに北上。母親が戦争のときこのあたりまで逃げて来た、とぽつりと言う。山の中を歩いていたら機銃掃射で一人おきに撃たれて倒れていった話はブラジルのおばさんから聞いた。

久しぶりのヤンバルは、こっちが住んでいるところと違い空気が気持ちいい。つつじは一分咲きだったが、高台から見えるのは辺野古のキャンプシュワブの建物、岬の先には長島、平島。きれいに見えた。帰りは慶佐次のマングローブ林に寄り、シオマネキを子供と見る。

マングースが素早く横断する道、途中にはねられ道の真ん中にほったらかされている死骸も車輪でつぶさないよう通り過ぎ、キャンプシュワブ前過ぎ、宜野座インターから高速で乗って、往復160キロ。おもっていたより道が整備されていたので時間がかからなかった。辺野古移設にともなう北部振興とかのおかげか、護岸工事、工事中のところもたくさんある中、移設反対の立て看もちらほら。

啓蟄の三月五日、最高気温二十七度。かんべんしてくれ〜とぐだぐだしていると「東歌篇ー異なる声 独吟千句」が届く。沖縄から「異なる声」にひとりで勝手に参加することにした。一時間ほどかけて読んでみる。

なるほど、植松眞人さんがブログで「漢字が読めなかったらどうしよう」というのがよくわかる。「うまご」という言葉を見つける。孫は沖縄の言葉と同じだ。発音は「んまぐゎ」と表記すれば近いか。

参加する、といっても家の中でランダムに音読しても、端から間抜けに見られかもしれない。新さくら丸では沖縄、奄美のことが歌われるているので、どうせなら歌われているところに行ってやれい、と仕事に行くまでの空いた時間でどこまで行けるか地名と歌の内容でここらへんならいいだろうというのを選んで以下の四つ。

  勝連の海のぐしくを〜
  コザの村〜
  黒人の兵〜
  ベトナムを〜

午後二時到着を目指し、カッチン(勝連)へと車を飛ばす。ちょうど二時ごろに勝連城向かいの駐車場へ車をとめる。自宅から片道だいたい12キロ。観光客他、島内から訪れた方々いるなか、勝連城址に入るとすぐ海が見えたのでここで音読。石垣を見ていたらてっぺんまで行ってみたくなる。けっこうな急勾配。一番高いところへ。この日は風が強く波の音は聞こえなかったが、うっすらと津堅島。左はヤンバル、右は具志川、中城湾、泡瀬、与那原まで見える。そこでも音読し次へ移動。

コザの村ときたら、昔の実家の斜め裏、幼いすけべな少年たちがよく覗き見していた宿の跡は今は駐車場。その少年たちは短命で今の生き残りは私を含めて二名。

次はゲート通り。白人、黒人も第二ゲートから出てこの通りを歩きそれぞれの盛り場へと行った。黒人は照屋、白人はセンター通り。

ベトナムの歌で出てくる「枯れ」、という言葉で勝手に枯葉剤を思い出し、去年、沖縄や台湾など他のところでも、枯葉剤を使用していたことが報道されたのでゲートに向かって音読し「ひとりで勝手に異なる声」終了。一時間半のほとんどは車の移動時間。一応、記録として携帯電話でそれぞれの現場を写真を撮影し、今回の関係者にお礼のメールを送る。