鹿児島

仲宗根浩

十月のはじめに鹿児島に行った。コンサートを見るために。
空港から鹿児島中央駅まで直通バスで四十分。むかしの西鹿児島駅は再開発されビルの上に観覧車が乗っかっている。三十年前、熊本駅から急行で四時間かけて西鹿児島駅に着き、駅から出ると確か花時計があったような記憶がある。港からクィーン・コーラルという船に乗り沖縄まで行った。午後六時出港の船は翌朝六時に奄美の名瀬港に着き、一度起こされる。途中の離島に寄港し那覇港に着いた。途中、鮮明に覚えているの与論島の港だった。甲板から見る海は底が見え、魚が泳いでいるのも見える。与論の港はいまもあのままの透明な海だろうか。

そのときは通り過ぎるだけの鹿児島市内だったけど今度は二泊三日。ついてすぐ、空港からバスで鹿児島中央駅前に着き、ホテルにチェックイン。コンサート会場までのバス乗り場を確認後、時間になるとバスでコンサート会場まで移動しライヴを楽しみホテルに戻る。出発する数日前から家族の冷たい視線を振りほどき鹿児島まで来た貧乏旅行。二日目、コンサート以外興味なく、どうせならずっとホテルの一室で朝から二日目の開場時間までうだうだと過ごしたいのだが、お部屋の清掃というものがあるためその間は部屋を出るしかない。近くのコンビニで朝食を仕入れ、川沿いの公園で食べる。大久保利通の像がでかく立っている。別の場所には幕末の薩英戦争を説明するパネルや島津斉彬のパネルやら。それを見ていたら立川談志師匠の江戸っ子の定義、維新のときに佐幕か勤皇のどちらにつくか、というのを思い出した。パネルに書かれているのは勝者の歴史だけ。

去年、沖縄の新聞では薩摩の侵攻から四百年、明治の琉球処分から百三十年、という記事がいくつか出ていた。特別に被害者、敗者のことを声高に言うほうじゃないけれどパネルを見ていると変な感じがした。勝ったものは勝ったもので、負けたものは負けたものでそれぞれ歴史を観光の道具にする。

それでも芋焼酎はしっかり飲み、今は黒を売りにしていることがわかる。