ひと月の間があいて

仲宗根浩

一回お休みしてしまいました。ここ数日雨が降り、ちょっと暑さが和らぐので、クーラー稼動が少し減るかと思ったがそうはいかず、洗濯ものが乾かないので相変わらずクーラーはフル稼働。ご苦労さんです。設定温度はいつも三十度だけど、電気代怖い。

六月からは、テレビからぱったりとおきなわのことは消えてしまい、穏やかな日々。軍からは、夜十二時以降は基地内のおうちに戻りなさい、というお達しが出て、十一時半過ぎにゲート戻る若いやつら。理由は飲酒運転がらみの事故が多いからとか新聞に書いてあったが、今では原則十二時のあいまいさか、週末は十一時頃から繰り出す集団が見える。

梅雨が明けたのは六月の十九日だった。日差しはシャツの織目、その隙間から肌に刺さる。当分この日差しとのつきあっていかないといけない。雲の入道感具合が増す。六月二十三日の慰霊の日、こどもは学校が休みのため、でかい運動公園公園まで車で行く。自転車で遊ばせる。遊具施設には、地元の子もアメリカンの子も普通に遊んでいる。曇が調度いい。

普通に休んだあと、普通に仕事をしていたある日、仕事場で、両手の中指と薬指、付け根と第二関節の間に丸い針突(ハジチ)を施したオバアを目撃。普通に見たのは二十年ぶりくらいだろうか。針突は昔、女性が指や手の甲に施した入墨でいろいろな文様がある。うちの祖母にも小さなものがあった。貧乏だったから小さなものしかできなかったのだろう。とするとあのオバアは明治のときにすでにある程度の年齢だったということになる。うちの母親に話したら大正生まれの人はしていない、と言っていた。針突のことを職場の昭和の終わりに生まれた女子に話すと「なんですか? それ、こわい」と言われた。もうとうの昔になくなった風習。言葉も絶滅危惧言語になっているので知らなくてもしょうがないか。こっちも、復帰前、小学校の頃は沖縄口(ウチナーグチ)を使わないようにしましょう、と学校で教育を受けた世代だ。

実家から、姉の旦那が釣上げた、シビマグロの半身をいただく。刺身でも食べられるというので、刺身用に中骨にそって半分に切り、皮を剥ぐ。切れない包丁、苦戦。残った中骨、皮には赤身がついている。これらをきれいに削ぎ取り、皮を細かく切り、削いだ赤身と皮をたたいてボールにいれ、冷蔵庫にあった青じそのぽん酢、わさび、料理酒を適当にいれて混ぜると奇跡的にいい味になった。酒のつまみ用に作ったが上のガキにほとんど食われる。残り半分の身は四等分に切って奥さんがソテーにした。翌日はマグロのあらをもらう。頭と中骨。頭は煮て、うちではだれも食べない目玉やその他おいしい部分をひとりで、頭の原形が無くなるまで食べつくす。身が少しついた中骨、尾ひれは鍋に放り込み、冷蔵庫にあった、スーパーの惣菜におまけについている醤油やたれ、しょうが、にんにくチップス、自分が飲んでいる酒を適当に入れ、煮る。沖縄そばのスープになるか、中華の生めんでマグロラーメンにするか思案。マグロの風味が強いので、一晩寝かせてネギ油を入れ結局マグロだしのラーメンとなった。食べる直前までわからないいい加減な料理。

六月末になりいきなり母親が初入院、七月一日に初手術。久々の病院への行き来。入院、手術のための署名、捺印の多いこと。手術は簡単に終わり、退院の日は母親の国民学校の同級生の葬式と知人の訃報。その日はアメリカの独立記念日。今年は嘉手納基地の開放はない。花火の音が聞こえる。基地内の独立記念日の花火なのか。数日経つと小さい頃からお世話になった方の訃報で、葬式、初七日。母親がまだ本調子ではないのでその分もこちらが代わりに行く。七月から八月のカレンダーは七日ごとの印が三つ入る。

その合い間、健康診断のため毎年恒例、胃カメラを口から入れられる。年々、喉への麻酔は楽になってるが、注射される安定剤か鎮静剤か何かは全然酒飲みには効かない。喉から食道、胃に何かが入っていくのがよくわかる。

この時期の夜、職場の外に出るとエイサーを練習する太鼓の音が遠くから聞こえてくる。猛暑はないが、最高気温は三十二度、最低気温二十七度か八度、という日がどれくらい続くのか。