シュルレアリスムと即興音楽

笹久保伸

音楽における即興演奏の起源は古い
古いと言うか 人類最初の音楽は即興的に行われた と言われている

現在、世界各地の民族音楽では個々の音楽の中でその音楽観に基づいた即興が行われている しかしそれらはある種の「即興」であることには違いないが、その即興と言うのは各音楽の持つ特有なパターン(形、旋法、リズムなど)に支配ないし制御、コントロールされている それらは俗にイディオム(言語)と言われ、例えばジャズの即興をするならば、その共通言語を話せる必要がある、でなければ他者との会話は難しくなる

一方、フリーインプロヴィゼーション(決め事なしで演奏する即興)は文学的シュルレアリスムの観点から見ると「自動記述」と似ているのではないか (音楽の場合、記述は記録(録音)として)弾く内容をあらかじめ用意せずに、かなりのスピードでどんどん弾いていく それをずっと続けると一種の錯乱(トランス)状態までになる こうなるともはや自分が演奏しているのか 何者かに自分の身体で演奏させられているのかわからなくなる 巫女やシャーマニズムの世界でもそういうのは存在し 常に音ないし言葉を用いる

音楽の「作曲」と言う作業の中でシュルレアリスムを考えて、固定された作品を作るとすれば、せいぜいコラージュくらいしかできない
一方、自動記述的なやり方での自動演奏であればシュルレアリスム的と言える音楽にわりと近づいている(と言えるかもしれない)

しかし だからと言ってどうって事ではない シュルレアリスム文学の場合はブルトンやピカビア、ツァラ、他が行った試みないし活動が面白かったので後にそれらが伝説化された

即興は「即興行為」そのものに意味があると言うよりは「誰が即興をするか」によって意味が生まれるような気がする