むかしの声

仲宗根浩

子供がお年玉で買ったニンテンドーのDSi。インターネット接続ができるという。うちには無線LANの環境はないが、窓際だとワイファイ経由でネットにつながる。子供は無償のソフトをダウンロードする。近所のどなたかの無防備な環境からネット接続できる。甘いセキュリティ。これだからワイヤレスはいやだ。ワイヤード派のわたしは15メートルのケーブルを引きずりながら家のどこからでもネット接続をしている。

アレサ・フランクリンが出る、というのでアメリカ大統領就任式を見る。ああ、声出てない、年齢か、それとも寒さか。昨年、勝利宣言のときサム・クックの歌詞の引用のようなその筋のファンの話題になるものはなかった。それを期待するほうもへんだけど。その後のクラシック演奏、楽器編成がメシアンの「夜の終わりのための四重奏曲」と同じだった。テレビではゲバラの映画のCMが頻繁に流れる。報道番組だったか忘れたがゲバラの特集でビートルズの「レボリューション」が流れた。イントロのギターリフはエルモア・ジェイムスの三連符。エルモア・ジェイムス伝記本もまだ読み終わっていないうちに、ハウリン・ウルフの伝記本が届く。ネットでイギリスのギタリスト、デイヴィー・グレアムが昨年、亡くなったのを知る。10年前、次々とCD化される過去のアルバム。3枚購入したところでやめた。ジョン・レンボーン、バート・ヤンシュ、ジミー・ペイジ、ポール・サイモンから彼を知った。

久しぶりに図書館へ行くと去年、地元の新聞でも話題になっていた「沖縄映画論」という本があったので借りる。子供の頃、すぐ近所に映画の撮影が来たので見学に行ったことがある。車の中で寝ている俳優を見た。巻末にある映像作品リストを見るとその俳優が出演している映画は1976年の東映作品「沖縄やくざ戦争」。撮影が前年だったしてもその頃は沖縄にいない。記憶違いか。以前、従兄から1966年の「網走番外地 南国対決」については懐かしい沖縄の風景が見られる、と教えられていた。本の内容はお決まりの意味不明な言説が並んだ文章ばかりで、「読み解く」という知的なことに一切の興味がないことがわかった。

沖縄の古典芸能を鑑賞しようと思い、あれこれさがす。沖縄には今年で五周年になる国立劇場があるが、新聞で県立芸術大学音楽学部琉球芸能専攻学内演奏会、というのを見つける。入場無料で会場は学内の奏楽堂。400ちかく入る立派なホールだった。十数年ぶりに所作台が置かれた舞台を見た。間近で見ると踊りに使われる小道具、曲によって変わる地謡の編成など初めて見るものばかりだった。会が終わり外に出ると、暗い中、朱色の首里城が浮かんでいた。

ここ数日、旧正月前に亡くなったブラジルのおばさんの三十数年前に送られたきた、肉声が録音されたカセットテープ、約400分をコンピュータに取り込み、ヒスノイズを取り除いたり、音量を持ち上げたりする作業をずっとやっている。残された音源はすべて方言で、今では使われなくなった言葉が声として残っている。