アジアのごはん(27)ほうろう・マイラブ

森下ヒバリ

どういうわけか、ほうろうが好きである。旅の放浪も好きだが、ここでは鋳鉄にガラスの釉薬をかけた鍋やうつわのホウロウ、琺瑯の話である。先日も近所の北野天満宮で25日の天神さんの縁日をやっており、友達に誘われておだんごでも食べに行こうと出かけたところ、なぜか帰りには大きな古いほうろうの鍋をふたつも抱えて歩いていた。北野の天神さんは骨董市で有名である。ココア色をした大きい鍋は新品のまま忘れられていたデッドストックらしく、OSAKA JAPAN ENAMELという古いラベルがついていた。輸出用だったのだろうか。さびも出ているし、何に使うのかといわれても困るのだが、あまりの色と形の愛らしさについ手に入れてしまった。薄っぺらいが、まあ、染物にでも使えるかも。 

日本でも昔はほうろう製品をよく使っていたようだが、戦後はすっかり廃れていたようである。子供の頃の記憶にもあまりほうろう製品はない。小学校のトイレの汚物入れの白い三角箱、保健室の消毒用たらい・・。あまりほうろうが愛しくなるような記憶ではないなあ。実家の台所にあったのは赤いふちの白いボウル。これは好きだった。

しかし、アジアに旅するようになると、そこらじゅうでほうろうに出会うことになった。市場でおいしそうな惣菜を盛ってある花柄の洗面器タイプの大きなボウル、お盆。屋台のお皿は白いほうろう、屋台で調理スペースにいくつも置いてある調味料入れの青いほうろうの壷、ふるい中国式旅社の部屋においてある華麗な花柄のタン壷に洗面器。水差し、カップ。そういえば、アジアのほうろう製品は赤い花柄が多い。詩人金子光晴の「洗面器」に出てくるマレーシアの遊女がおしっこをする洗面器も、必ずやこの赤い花柄のほうろうの洗面器であったはずである。

この花柄ほうろうを作っているのは、中国とタイ、ベトナムである。ほうろうはアジアの旅でおいしい食のイメージと繋がっている。そして、何に使ってもいいという自由さとも。

アジアのほうろうは、あまり頑丈でもなくぺらぺらで、鍋にもあまり使わない。うつわとしての存在が大きい。一方で西洋のほうろうは鋳鉄にしっかりと釉薬をかけた頑丈なものが多い。その代表がフランスのル・クルーゼという鍋だろう。ル・クルーゼは、数年前に一つ買って使っていたのだが、最近さらにもうひとつ買ってしまったほど気に入っている。ル・クルーゼは、はっきりって、重い。ものすごく、重い。いろいろな料理がおいしくできるという話はたくさん聞いていた。ほしくてたまらなかったのだが、実物を持ってみて、力持ちとはいいかねるわたしの腕には無理、と一度はあきらめた。しかし、近所の店で売っているのを見て、鍋を両手で持ち上げてみた。

「・・あと10年ぐらいなら持てるかな。いや、あと5年でもいいやん」今、ここで買わなければ一生この鍋を使うことはないだろう。いくら重いといってもヨーロッパではふつうに使われているのだし、気をつけて持ち運びすればなんとかなる。なによりその姿、佇まいにもうメロメロである。これをうちのコンロの上に置いて、眺めたい、料理したい! ル・クルーゼがほうろうでなかったら我が家にやってくることはなかったに違いない。

こうして、七割ぐらいは見た目で選ばれたル・クルーゼちゃんはわたしの台所にやってきた。彼女は大変重いので、棚に仕舞うよりもコンロの上に置かれっぱなしになり、そのまま使われることが多くなり、それまで台所で女王の座にいた圧力鍋をあっというまに棚の奥に追いやってしまった。

初めてその鍋で作ったのは、オリーブオイルをたっぷり入れてじゃがいもと鶏肉を蒸し焼きにする料理。にんにくは皮付きのまま粒で何個も入れる。庭のローズマリーを一枝。塩を振る。弱火で20分。あまりのおいしさに、ル・クルーゼが重いことなど、まったく気にならなくなった。
しかしオリーブオイルをたっぷり使う料理はおいしいのだが、やっぱり食べ続けていれば太ってくる。これはまずい。西洋料理ばかりでなく、和食はどうかな? その前にカレーを作ってみた。え、うまいじゃないの。野菜のうまみがとてもよく出ている。じゃあ、根菜の煮物はどうよ? うわ、おいしい〜。鶏肉もごぼうもにんじんも蓮根もサトイモも、野菜自身の持つうまみがダシと一体になり、何日も煮込まれたような味になっている。ル・クルーゼはフランス生まれだが、日本の料理も大得意だったのである。

最初の鍋は水色でふつうの円筒形だが、新しいル・クルーゼさんはクリーム色で鍋の側面がボウルのように曲線になっている。口が広いので鍋料理にも使える。鳥の手羽元があったのでさっそく炊いてみた。これが、もう絶品。少しだけ大根を入れて炊いたが、手羽元よりもとろとろの大根のほうがもっとおいしい。次からは主役は大根で、手羽元は脇役に転落。しかも、翌日ちょっと残ったダシがあんまりおいしそうだったので、これにネギとあげを加えて卵でとじ、(親はダシだけの)親子どんぶりにしてみたところ、もう言葉に出来ないほどのおいしさ。それ以来、我が家では大根と手羽元の煮込みの翌日は必ず親子どんぶりという不文律が出来た。
インドの北東部の紅茶の町ダージリンで食べた、チベットのスープ麺トゥクパを思い出して、麺は抜きの野菜スープをこの鍋で作ってみた。ダージリンにはチベット人がたくさん住んでいて、中国のチベット侵攻ののちに難民として逃げてきた人も多い。町にはチベット食堂がたくさん並んでいた。

ヒンドゥー、イスラム社会のカレー三昧に疲れ果てていたわたしは市場の近くの小さな店で極上のトゥクパとモモに出会った。仏教徒のベジタリアン料理しかないその店のメニューはチベット餃子のモモと、米麺か小麦粉麺のスープ麺、小麦粉麺の炒めた物の三つ。とにかくカレー味でないものが食べたかった。野菜を山盛り食べたかった。

出てきたのは、野菜のうまみたっぷりのベジ・モモと、カリフラワー・玉ねぎ・大根・ニンジンがたっぷりと、とろけるように煮込まれたスープに米麺が入ったトゥクパ。塩味もほんのりとしかついていない。自分で塩味をつけ、トウガラシ味噌を加える。やさしいやさしい、でも思わずため息が出るような野菜のスープ。ああ、こういう料理が食べたかったんだ、と思わず泣きそうになった。

カリフラワーは小さめに刻む。大根もにんじんもたまねぎも1〜1.5センチ角ぐらいに刻む。水と塩を少しを加えてたっぷりの野菜をル・クルーゼでゆっくり煮る。じゃがいもやかぼちゃをいれてもいい。ル・クルーゼならチキンスープの素は入れなくてもおいしい。塩と荒挽き黒コショウ、隠し味にナムプラー少々、レモンなどのかんきつを絞ってもいい。好みで月桂樹の葉、イタリアンパセリ、パクチーなどを入れても。カリフラワーと大根とたまねぎは必ず入れてください。スープというより野菜のおじやに近い。

やさしく淡い味の向こうに、朝日に染まるヒマラヤ、カンチェンジェンガが見える・・、かもしれないダージリンスープ、いかがですか。