五月の記憶

仲宗根浩

九州から来た甥っ子が三線を見たい、というので母親の従兄弟が営む三線屋に行く。最近は海外製の一万円代の安価で棹もすぐ捩じれるものが出回っていて困る、自分が作ったものしかもう修理はしない、と言うおじさんはそろそろ八十歳。主に棹は県産の黒檀、黒漆塗りが最高とされていて値段も高い。県産の黒檀なんてもうほとんど無いだろう。色々見せてもらった中に紅木(邦楽のお三絃で使われる高級な棹)のものを見つける。それは糸が複弦3コースで六本張られているものに使うとのこと。三線も高級化している。高価なものを購入する県外のお客さんもいるという。

何年ぶりかで、西海岸五十八号線を車で北上する。富着(ふちゃく)のイチャンダ・ビーチ(イチャンダ=無料、ただ、お金を取られない無料のビーチ)、道を挟んで建設中の新しいリゾートホテル。更に北上すると小洒落た飲食店や新築のマンション。ちょっとしたバブルで家賃高騰と新聞に書かれてたのを思い出す。二年間、通勤のため通っていた道。どんどん変わっていく。もめている東側の基地建設予定地、基地が出来なくても道が造られ、よそからの資本が流れ、元の風景が消えたら同じ。

センター通りにある老舗レストランの閉店。耳に入るのはネガティヴなお金の話ばかり。空き店舗一つ増えると、新しい店舗一つオープン。大きな書店ができたかと思えば、家電量販店は七月に撤退。電柱には告示前の選挙のための立候補表明した方々や政党のポスター。毎回、選挙が終わってもそのまま放置。このようなことを普通になさる方々、政党を支持しない、という信念を持ったとすると投票箱へはなにも書かない紙を入れなくてはならなくなる。

三十六年前の五月十五日の記憶。
信用金庫に長蛇の列のなか、ひとりで自分の通帳の書き替えを待つ。店内に入っても人がいっぱい。周りは大人ばかりでカウンターの様子も見えない。自分の番になる。通帳を差し出す。渡された通帳のドルの預金産高が円に変わっていた。

二十二日、今年も遅い梅雨入り。平年より十四日遅れ、去年より六日遅れ。雨は降らない。二十六日、下の子を連れて海へ行く。平日なのにアメリカンの家族連れが多い。メモリアル・デイでアメリカは祝日だったことを夜に知る。頭にタオルを巻いていたので顔だけ赤く日焼け。笑われる。

二十八日夜、暑さに我慢できず今年初めてのクーラー稼働。二台あるうちの一台のリモコンが利かない。もう一台は基地周辺住宅の防音工事で新しく交換されたばかりなので初稼働。翌日から雨が本格的に降り出し、少し涼しくなる。

いただいた、豚の耳の塩ゆで。すぐ料理できるように五ミリ幅くらいに切り小分けにして冷凍。こういうそのままの形のものを解体するのはだいたいわたしの役目。