毒物漁法

仲宗根浩

毒物漁法というものがありまして、現在でも海や川に青酸カリを使用して観賞魚を捕らえ売買するために行っている国があるようですが、沖縄でも復帰前、行われていたようです。
昔は本島も豊富な珊瑚に囲まれていましたから、潮が引くと、リーフの割れ目の深い縦穴には取り残された魚がいっぱい。そこに青酸カリをちょこっと入れ、浮いてきた魚を捕る、というきわめて単純な方法です。沖縄の場合は観賞魚捕獲のためではなく食用。

最初にそのはなしを聞いたとき、使用しているものが日本では「毒物及び劇物取締法」で指定されている毒物だけにその入手じたい規制がかけられていることから頑に信じない方もいました。
が、ある日、近所の居酒屋にて、ご主人に青酸カリ漁法について話しをしたところ、
「うちの親父がやってたよ〜」
とあっさり。
居酒屋のご主人のお父さんは沖縄の南部で海人(うみんちゅ)だったとのこと。
青酸カリの入手法を聞いたところ
「軍(もちろん米軍です)から闇ですぐ手にはいるさ〜」
とこれもあっさり。

まあ、復帰前のことです。わたしの実家は嘉手納基地すぐ近くですから、基地流れのウイスキー、煙草は日常でした。タクシーの運転手さんが米兵をベースまで乗っける。金を払えないのでジョニ赤の1ガロンボトルを持って来たとか、うちの近所ではありませんが、ほんとかうそか小学生のころ、基地ではたらく父親がくすねて隠していた手榴弾を見つけ、それを持ち出し、そう簡単には爆発しないとおもいマンホールへ投げこんだら爆発、学校中騒ぎにしたやつなど。

野次馬もいました。近所の大きな市場で火事が起きると真夜中にも関わらず子供をたたき起こし、まず屋上にて確認後、現場まで連れて行く。毒ガス移送のとき、学校は休みのため、移送される米軍の天願桟橋が見える、立ち入り規制のかかっていないところまで車で行き子供連れで見学。コザ暴動の明けた朝にカメラを持ち、ひっくり返され、焼かれた車をバチバチとカメラにおさめ、子供を黒焦げになった車の横に立たせ記念撮影。この野次馬、私の父親です。