ふるいひと

時里二郎

昨(さく)のお祭りが果てて
ひいなの箱には
わたしのひいなはいない
いつもそうするように
ふるいひとが わたしのひいなを連れて行った
箱の中で やみの服を着せるのはあんまりだから
ひいなの箱の開(あ)く日までと いい置いて
わたしのひいなを連れていった

ふるいひとは
花のみつでうたを溶かし
空をわたる鳥と交わす呼吸(いき)を風に変えて
わたしのひいなと 遠くで暮らした

ふるいひとは
ひいなを連れてもどってくる
あさいめざめのさかいをふんで
湧水(ゆうすい)のゆらぎから
あらわれるてのひらをさけながら

けれど
さきくさのさく季節になっても
ふるいひとは見えない

もうそろそろねと
おかあさんが納戸の押し入れを開ける日にも
わたしのひいなを抱いて
さきくさのかたわらを過ぎていったそのひとを
見なかった

けれど
納戸からおかあさんが出してきた
ひいなの箱には
わたしのひいなは
ちゃんと帰っている

昨のお祭りのあと
ひいなを仕舞うお手伝いをした ちいさな手の記憶の繭玉を
ふるいひとは やみの紙にくるんでひいなの箱に仕舞ったはず
それから
わたしのひいなを抱いて
さりぎわに
薄目を開けた小さなゆびと
《なしなししななし》
《なしなししななし》
なにもなにもわすれてしまうための
おまじないのゆびきりをしたはず

けれど
どうしてだかわからない
ふるいひとと なにもなにもわすれてしまうおまじないをしたのに
みんな みずのなかのことのように
おぼえている

けれど
ふるいひとのゆびも
ふるいひとのかおも
ふるいひとのこえも
おぼえていない

ふるいひとは見えない
わたしのひいなを抱いて
さきくさのかたわらにいても
わたしはもう見えない

さみどりの草のまだつめたい水の気配がする

(名井島の雛歌から)