天正壬午の乱とセノパティ

冨岡三智

NHKの大河ドラマ『真田丸』は、天正10年(1582年)の武田家滅亡から始まり、その3か月後に起きた本能寺の変後の信濃の混乱(天正壬午の乱)に至ったところ)2月末時点で)。この年代に何かひっかかるものを感じていたら、これがジャワでセノパティがマタラム王国を建国した年の1つだとされていることに気づく。なお、建国の定義や依拠する資料などによって建国年代はまちまちだが、だいたい1570年代から1580年代の間とされている。

セノパティは中部ジャワのパジャンの支配下でマタラムの領主となり、後にパジャンの王に代わってジャワの王となる資格を得る。3代目の王、スルタン・アグンの時代(1613〜1645)に最盛期を迎え、ほぼジャワ島全土を手中に収める。スルタン・アグンの時代はちょうど第2代・秀忠(在位1605〜1623)、第3代・家光(1623〜1651)の時代にだいたい重なっている。そして、家光が1636年に日光東照宮の大造替を手掛けて現在のように整備したように、スルタン・アグンも1643年頃にマタラム王家の廟を完成させた。ちょうど同じ頃、地方から出た領主が天下を統一して三代目にその地位を盤石なものとしたという点で、セノパティはジャワ版家康、と言えなくもない。

ただ、その後が違った。マタラムでは地方貴族の反乱、王位継承問題、オランダ東インド会社の介入などがあって、結局、1755年に王国は2つに分裂する。日本では元禄バブルも吉宗のデフレ政策の時代も終わって第9代・家重(在位1745〜1760)の時代だ。この、マタラム王国のすったもんだの時期が意外に長いことに驚く。この後継者争いで暗躍するのがオランダ東インド会社で、設立されたのは1602年、セノパティが死んだ翌年であり、江戸幕府が始まる1年前である。スルタン・アグンはオランダが商館を開設したバタヴィアを2度にわたって攻撃したが、その後継者たちは諸問題が起きるとオランダに支援を要請し、そのたびに王国の特権を譲り渡すようなハメに陥った。マタラム王国は分裂してスラカルタ王侯領とジョグジャカルタ王侯領となり、それぞれオランダ植民地支配下、一定の自治を認められて存続するのだが、こんなマタラム王国の歴史は果たして大河ドラマになるだろうか…と妄想してみる。

セノパティからスルタン・アグンまでの三代記なら、栄光に向かうので見るのも楽しそうだ。とはいえ、セノパティは歴史資料として実在が確定できないようなので、話はほとんど創作になるだろう。マタラム王国の公式”史書”『ジャワ年代記』では、セノパティの部分は神話的な脚色に満ちている。星の啓示を見たとか、瞑想していたら海が沸騰して、そこに海底に住む女神(ラトゥ・キドゥル)が現れて王を海底の宮殿に誘い…と浦島太郎のような話が展開する。これらのエピソードを入れると講談にはなるかもしれないけれど、大河ドラマとしてはリアリティに欠けすぎる。

資料で存在が確認されるスルタン・アグンの王以降の時代だと、内紛がめじろ押しの時代なので『真田丸』に太刀打ちできそうな話ができるかもしれない。けれど、どこでドラマを終わらせたら良いのだろう。マタラムが劣勢になっていき、最後は、暗愚のパク・ブウォノII世(と私が言うのではない、歴史研究者が言っている)によってマタラム王国がオランダ東インド会社に引き渡されるところで終わるというのも、あまり共感を呼ばない気がする。ただ、それを、ジャワ王家を調略するオランダ東インド会社の視点から描くと面白いだろうなとは思うのだが、オランダを倒して独立したという建国物語を持つインドネシアではその視点も受け入れてもらえない気がする。『真田丸』のように、現在の国家の枠組み内ですったもんだがある分には問題ないが、オランダだの華人だのが出てくると厄介だ。また、”マタラムは2つに分裂しましたがそれぞれ存続しました”というのも波乱万丈の歴史ドラマの幕引きとしては物足りない。文化史ならその先の時代がメインになる…。というわけで、セノパティの業績が歴史的にもう少し解明されてドラマを作れたら、やはりそれが一番面白そうだ。。