これはみんな伝え聞いた話です。
あるときあるところに
大変な知者という評判の僧侶がいて
彼の大好物は里芋の芋頭(いもがしら)だった
芋頭というのはね
種芋から最初に発芽して
そこに生じるいちばん大きな芋のことさ
彼はとにかくこれが大好き
大きな鉢にうづ高く盛り
膝下に置いてこれを食いながら
読書したんだって
(タロイモ読書?)
病気になったらきっぱりとこもり
一週間、二週間と静養する
治療としてはよい芋頭を選んで
それをたっぷり食う
それで万病を治した
彼は他人には芋頭をあげないんだ
ぜんぶ自分で食べるんだ
すこぶる貧乏な人だったので
師匠が心配して遺産をのこしてくれた
「銭二百貫と坊ひとつ」
坊というのは僧侶がひとりで暮らせる
質素なストゥディオ
ところが彼は、じょうしんは、
この坊を百貫で売ってしまった
これで手持ちのお金はかれこれ三万疋(一貫=百疋)
このすべてを芋頭につぎこんだ
これだけのお金をすべて都に住む知人に預け
芋頭を十貫分ずつ取り寄せて
ふんだんに食べ
やがてさっぱり遣い果したそうだ
まあ、思い切りのいい坊さまだね
(タロイモをたっぷり食べて
ポリネシア人のような体格になったんだろうか
ポイはそのころの日本にはなかっただろう
いや日ごろ飽食してなければ
そんな体型にはならないか)
お金に頓着ない
ただ芋頭を食いつくす
ことほどさように単刀直入
人々は感心した
この僧侶は「みめよく、力強く、大食にて
能書・学匠・辯舌、人にすぐれて」
この宗派の「法のともしび」とも思われていた
でも曲者でね
癖者といってもいいが
万事につけ「自由」な人なんだ
すなわち他人にはしたがわない
饗宴でも膳が全員のまえに揃うのを待たず
さっさとひとりで食って帰ってしまう
食事時も何もかまわず
腹が減れば夜中でも暁でも食う
眠いと思ったら昼間からごろり
どんな事件が勃発しても
他人のさしずには従わない
慌てない
目が覚めれば幾晩でも寝ない
何をしてることやら
(タロイモ食って、本読んで)
そういう人間だったけど
みんなに嫌われることもなく
なんでも許されたという
自由が認められていた
いい話だね
みんなこれからは里芋を食おう
小さなきぬかつぎではないよ
大きな芋頭をガンガンとね
それも修行か
少なくとも道だ。
またどこかにこんな人がいた
大根こそあらゆる病気に効く
薬だと信じてるんだって
それで毎朝二本ずつ焼いて食う
来る日も来る日も
何年も何年も
ただ大根を食う
体が大根で置き換わるくらいのものさ
彼が住んでいたのは「館」(たち)といって
まあ家というより小規模な砦
どんな役割を果たしていたのか
一種の前線基地か行政機関か
ある日、館から人が出払っているときに
敵の急襲を受けた
むかしは野蛮だねえ
いつ戦闘があるかわかったものではなかった
男はたぶん「敵だぞ、迎え打て」
くらいのことはいったんだろうが
誰もいない
誰にも聞こえない
万事休す
館は包囲されてしまった
するとね、館の中から
突然見たこともない兵が二人出てきて
これが強いのなんの
何の恐れも見せずに勇猛に戦い
ついには敵をそっくり追い払った
むかしは野蛮だねえ
でも話に聞いている分には
痛くも痒くもない
痛快といえば痛快
戦いが収まって
主人はいったわけさ
「きみたち日ごろここにいる顔ではないな
よく戦ってくれて助かった、ありがとう
ところできみたちは誰なんだ?」
「むかしからおなじみの
毎朝毎朝だんなが召し上がっている
土大根でございますよ」
そういってふと姿を消してしまった
どうだいこの話?
大根はいつも男に食われてるんだよ
ところがあまりに食われたために
男が大根の仲間になったとでも思ったのか
あるいはそこまで「大根は万病に効く」と信じた
男のその信にほだされたのか
男の危機にあたって大根が助っ人に来たんだ
けなげな話じゃないか
まるで忠犬物語だね
忠根だ
大根を食べるには1センチ5ミリほどの
厚みで輪切りにして
フライパンで弱火で両面を焼いて
火が通ったころに醤油をたらして
焦げ目をつけるといい
よい香りが立ち上る
焼くと甘味が凝縮されて
うまいしいかにも清浄な感じがする
そんな大根を一日も欠かさず
十年くらい食べてごらんよ
身も心もきれいになって
何かが起きるかもしれないな
きみにも
助けに来てくれるかもしれないよ
きみを
きみが敵に囲まれ
命が進退きわまった
そのときに。
もうひとりは法華経をひたすら
読誦した上人さま
その功徳により「六根浄」をはたした
眼・耳・鼻・舌・身・意がきよらかになり
最大限の働きをするようになったのさ
見える見えるよ、見えないものが
聞こえる聞こえるよ、聞こえないものが
体は元気はつらつ
意欲はみなぎって
上人さまは旅に出た
ずいぶん歩いてから
閑散とした村の粗末な家に
宿ろうと入ってみると
ちょうど豆殻を燃料として
豆を煮るところだったらしい
豆というのは大豆のことだよ
するとね、上人さまの耳には
煮える大豆のこんな言葉が聞こえたんだ
「よく知っているおまえたちなのに
恨めしいよ
おれのことを煮て
辛い目に合わせるんだなあ」
これに対して、焚かれる豆殻の
パチパチと鳴る音はこんな言葉だったって
「そんなつもりじゃないんだよ
焼かれるのも耐え難いことだが
どうしようもないのさ
恨まないでおくれよ」
もとはといえば兄弟だ
そんな豆殻と豆の会話は切ないが
悪気はない
上人さまはその会話を聞いてしまったが
いかんともしがたい
彼が何を思ったかは知らない
あくまでも澄みきった心で
にこにこ笑っていたのかも
その日の食事は煮豆に塩をひとふり
おいしくいただいて
むしろに体を休めたあとは
また明日も旅をつづけるだけ。
いかがですか、みなさん
里芋と大根と大豆
われわれがずっと食べてきた
そんな植物のみなさんのことを
今年は考えましょう
考えつつ、思いつつ
いただきましょう
あなたの体は
心は
結局はそんな植物によって作られ
かれらの体にも心にも
かたくむすびついているのですから
まずはいつものやり方を変えて
この新春には餅を食さず
里芋ばかりたっぷりいただきますか
里芋を食って本を読み
里芋を食って人新世を論じ
里芋を食って病気を治す
心身を整える
そんな年もなかなか
いい年になるかもしれませんよ
(物語の出典は吉田兼好『徒然草』60段、68段、69段)