Das Kapital

管啓次郎

 1
トリーアの町を歩いていると
ポルタネグラのそばでカルリートに会った
アンデス山脈出身のフォルクローレ歌手
最近はこの付近で歌っていることが多い
でも今日は浮かない顔をしている
どうしたの、カルリート、今日は一人?
聞くと相棒の二人兄弟は兄が病気になり
かれらが仲間と本拠地にしている
アムステルダムに帰ったそうだ
カルリートはひとり残された
彼はトリーアを離れるつもりはないので
ギターの単独弾き語りでしばらくやってみるという
英語のロックやフォーク
ポルトガル語のボサノヴァ数曲
「メヒコ・リンド」などラテンアメリカ他国の歌
フランス語のシャンソンのスタンダード曲
イタリア語の “Volare, cantare…”
ぜんぶ合わせれば優に100曲にはなるので
場がもたないということはない
いま考えているのは
お客の中に一緒に歌ってくれる人がいれば
そしてその人がある水準以上にうまければ
短期(1日〜1週間?)の相棒として
一緒にbuskingを試みるということ
「きびしそうだが、ともかくやってみるよ」
ぼくは、よかったらお昼でも食べようかと彼を誘い
ぼくらは中国料理店に入った
そこから話は思いがけない方向に進んだ
食べ終わって
金属製のポットに入ったお茶を飲みながら
ぼくは初めてカルリートの背景を知った
彼はペルーの山岳地帯少数民族出身だが
中学生のころに首都リマに出てそこで育った
それから大学に進学し
奨学金を得て
ここトリーア大学に来た
だったら学生なの、とぼくは尋ねた
「一応ね。博士論文を書くつもりだったが
そこで足踏みして。どうしようかと迷っている。
でも歌はずっとうたっていたよ」
研究分野は?
「社会学、というか開発研究。でもかなり行き詰まった」
それはなぜ?
「開発のすべてが、ヨーロッパが作り出した近代に
巻き込まれてゆくことだとはっきりしているから。
かれらの市場で、かれらのやり方で
かれらに利益を与えながら
生存を図るしかない。
でもその大きな構図の中で何を語っても
そこに自分の道はない
パチャママ(大地母神)の道はない」
ヨーロッパ近代が行きついた場所が
現代のグローバル化された資本主義だから?
「そういうこと。巨大な、逃げ場のない網の目。
そしてこのシステム自体が、大地を離脱し
大地のすべてを収奪している
人々を蟻のように
海に追い落としながら」
このあとの数日、ぼくは何度かにわたって
カルリートの話を聞いた
資本主義を構成するいくつかの原則について
カルリートが話してくれたことを
ここにまとめてみることにしよう。

 2
資本主義とは何かって?
ひとことでいえば
それは「資本」に対する信仰さ
資本というものがあって
それがその本性にしたがってふるまうのを
人はただ諦め切ったかのように
傍観する
仕方がないと信じこまされることを含めて
大きくいって3つの原則が
資本主義を支えているだろうね
まず1、「資本は無目的」
それをどこにふりむけてもいい
資本家が投資に成功すれば
それに見合った取り分が生じる
ここに誰も疑いをはさまないわけさ
まるでお金が利子を生むことが
この世の第二の自然であるかのように
貨幣が見せる至高の単性生殖こそ
資本の永遠の目的
自己増殖という目的
ついで2、「あらゆるものは商品になりうる」
所有者がいて欲しがる者がいるかぎり
けれどもあらゆる価格は
じつは無根拠
それを決めるのは
小さな交渉の積み重ねでしかない
商品になるのは物
人、労働、サービス、貨幣、情報
なんでも
歌、踊り、芸能、文学
なんでも
そのものがなぜその値段になるのか
誰にも本当のところはいえない
その価格がある時点から次の時点までのあいだに
だいたいいくらくらい上昇するかを予想できれば
その予想自体が売買の対象になりうる
このことにも誰も疑いをさしはさまない
最後に3、「人は好きなだけ商品を買える」
お金という無色透明なものが用意できるなら
きみは好きなだけ商品を買える
現物の量的制限以外そこには歯止めがない
それで人は必要をはるかに超えて
買うこと買い集めること自体を
目的にしたりもする
そもそも「もの」とは何かにつかれた
気持ち悪いものでもあったはずだが
ここに大きなトリックがある
売買すること自体が
物を洗うんだ
(いわゆるマネーロンダリングも
この性格を利用している、貨幣もまた
商品なのだから)
つまりね、売買は起源を消す
商品は来歴を失い
記憶をリセットされる
作られた神話が貼りつけられ
収まりのいい他所ゆき顔をしても
商品を構成する物質たちはもう
二度と声をあげることがない
商品の中の商品というべき
貨幣の沈黙をまねるだけ。

ざっとこうした原則によって
私たちの世界は支配されている
文化を超え言語を超えて、これ以外の
合意のあり方を私たちはまだ
作り出せずにいる
でもこんなことのどこが
当然だといえるのか
資本の意志だけが支配を貫徹すれば
ゆきつくところは惑星いちめんの死
息も絶え絶えになった地球で
残された者は泣きながら石を積む
貨幣とはさびしい発明だ
数を指標とする欲望の代替物だ
目当てのない欲望をひとつにとりまとめ
人をそのマリオネットとする
ついで、遊ぶ貨幣が資本の始まり
あらゆる剰余を吸収して
この世を幻想の海に投げこむ
幻想は幻想としてどこまでも肥大し
物的限界にぶつかるまでは
速度をゆるめることすら知らない
そのとき
心はどこに行った?
幻がかたちをとった
根をもたずに地上に浮かぶ森に迷いつつ
絶望的に笑いながら私たちは
私たちを住まわせる商品の森に
火をつける。

(初出「びーぐる」47号を全面改稿)