犬狼詩集

管啓次郎

 118

私の村の小学校では山羊を飼っていた
白いあごひげと二本の角のある立派な山羊でした
杭で草地につなぎ一日をすごしてもらう
山羊は動ける範囲で草を食べ続けるので
草には円形に刈り込まれたような痕ができる
五年生になると教室は二階に移り
そのいくつもの円がはっきりと見えるようになった
「同心円」という言葉を初めて教わったのはそのころ
山羊が歩くたび同心円が描かれる、食べ続ける限り同心円はひろがり
こころ、こころ、と鳴り続けます
毎日適当に紐の長さを変えるので
山羊の仕事には濃淡が生じてきれい
ぐるぐる回るうちに円は螺旋になる
山羊は少しずつ地面から浮いている
夏休みを迎えるころには
山羊は、ほら、私たちの目の高さにいる

  119

見ることは事物を小刻みにふるわせて
卵が煮えるようにそれを固めてしまう
そのとき事物は自由を失い
世界は貨幣の裏側のように生気がなくなる
目をそらしてごらん、そらせ、そらせ
きみが見つめるだけそれだけ思い込みが刻印される
きみが知るだけの活字が総動員されて
すべてをアルファベットに置き換えてしまう
それでもう精霊が見えない
陽炎が見えない
星雲が見えない
つばめの飛跡が見えない
目をそらすという動きの中に
逃れ去る光のかすかな美が生じる
見つめてはいけない、目をそらしてごらん
それがphenomenophiliaの合言葉

  120

詩という名で体験されるものを言語の外に求めるとき
さまざまな動く気配が見えることがある
それは動物とも植物ともいいがたいがたしかに生きていて
自力の発光現象と反射光の散乱をうまく組み合わせている
そして物陰から不意打ちする
思いがけないところに隠れているんだ
高らかな音楽、口ごもるためいき
塗られた画布、こねあげたパン種
美しい自転車の暴走、凍った飛行機雲
烏賊の体表の斑点、タテガミオオカミのなだらかな首
強い風にゆれる大樹、強い風に踊る草
古い木造の長い橋、壊れた二眼レフのカメラ
SF映画の予告編、地下鉄駅の公共広告
だが一瞬見出されたそれらは音を立てて
洪水のように言語にむかって流入を始める
光が声になりざわめきが世界を限定してしまう