犬狼詩集

管啓次郎

  115

海と空の対話は成立しない
共通の言葉をかれらはもたない
海は沈黙を知らないし
空は沈黙以外の語をぜんぜん知らない
つぶやき、泣き、吠えるのが海
何ひとつ答えず周期的な点滅をくりかえすのが空
だがまるでそれを補うかのように
海にはものしずかな魚たちがいて
空にはいつもやかましい鳥たちがいる
魚と鳥はとてもよく似ていて
翼か鰭をはためかせ
飛ぶように泳いだり
泳ぐように飛んだりする
そして知ってるかい、魚と鳥の世界をむすぶのが誰かを
水の中を飛ぶ鳥だ、空にむかって立ち上がる魚だ
二つの圏を自由にゆききする使者、それはペンギン

  116

ありえない共和国だ、その岬は
灯台をめざして歩いてゆくと
黒い牛たちにすっかり囲まれてしまった
風が強く風は希望を吹き飛ばす
カモメにはとても耐えられない強さ、やむことのない風だ
その轟音を楽しむように牛たちは黙っている
維摩経のような知識をけっして口にしない
鋭い歯をもつ植物が土地を支配する
そこに島の小型の馬たちが群れをなしてかけてくるのだ
灰色が一気に明るむのは
かれらの運動が(摩擦が)空気を発光させるため
それから忘れがたい光景を見た
小さな馬たちと黒い牛たちが
ひとつの群れをなして岬の草原を駆け出したのだ
運動量が高まる、発光が激しくなる
いつのまにか岬の全体が光の土地になる

  117

ぼくの村の小学校では山羊を飼っていた
昼間は校庭のすみの芝生につなぎ
夜は塩を煮る釜のある小屋で寝かせた
山羊はいつも横に切れた瞳で世界を別のかたちで見ていた
ぼくらにとっての垂直があいつにとっての水平なら
舞うように身をひるがえす燕をあいつはどう見るんだろう
山羊はまるで賢明な老人のように見えたけれど
実は何も知らないのだということをぼくは知っていた
ある日、すっかり人生に疲れた郵便局員が
鞄を芝生におろし制服を脱いで
寝転がり空を見上げているうちに眠りこんだことがあった
ぼくらはハラハラし(正直にいって)ドキドキした
文字を知らない山羊は音もなく鞄に近づき
こぼれ落ちる手紙をむしゃむしゃと食べはじめたのだ
すべての通信は山羊のおいしいおやつでした
用事も感情も歯ごたえあるセルロースの塊