Sun Dog

管啓次郎

家鴨の群れが住む池がある公園で
ぼくが自分と立ち話をしていると
むこうから友人が歩いてきたのだが
その名前がどうしても思い出せない
そもそもどういう経緯で知り合った
人だったかも思い出せないのだ
だが経度も緯度も超えて
陽の光がさらさらと
青い水のように降ってくる
ものしずかな瑞兆
気のいい友人はにこにこと笑いながら
「一年」 という枠で日々を捉えることの不毛さを
語ってくれた
こうして直接もっとも大切な
話題に入れることこそ友情の特権
名前を知らなくても関係ない
無用な知識はいらない
空っぽの耳に呼びかける
動物たちの声が
池の水面に同心円状にこだまする
池はまるで命の寓話
生まれ死ぬことは水のように
階層も序列もなく
そこに溜まっているのだ
循環の中に
この池の家鴨たちは年間をつうじてここにいる
渡りにあこがれることはないのだろうか
遠い土地に帰りたいとは思わないのか
帰るべき土地がないのか
太陽の南中する位置を月毎に撮影して
その二十四枚を重ねた写真があった
夏至の南中と
冬至の南中の
位置の差には驚くしかない
そのどこかに最適の地点があるとしたら
そろそろ正午だね、とぼくはいって
なぜか深呼吸がしたくなった
するとむこうから自転車でやってくる
若い母親がいて
自転車を止めて友人に挨拶した
サドルとハンドルのあいだにつけられた子供シートに
二歳くらいの女の子が乗っている
ああ、ゆめちゃん、と友人が声をかける
きょうはお兄ちゃんはどうしたの、と彼がいうと
代わって母親が、おるすばんね、と答える
夢ちゃんか、いい名前だね、とぼくはいう
秋田犬みたいな名前だと思ったが黙っている
プーチンのことを思い出させたくなかったので
すると友人が、この子のお兄ちゃん
なんていう名前だと思う、と訊いてくる
ぼくが間髪入れずという感じで
現実
と答えると
友人と母親が目を丸くして驚く
どうしてわかったんですか、と母親に訊かれて
え〜、わかるでしょ、と答えたが
自分でも理由はわからなかった
いい名前だな、とは思う
兄妹にとって。すると友人が
ゲンジツだけどrealityじゃないんだよ、という
それで頭の中でただちに別変換して
あ、幻の、
というと二人がそうそうと肯く
そこではじめて
すごい名前だなあ、と感心する
幻日か、Sun Dogか
偽の太陽か、それもいい
Parhelionが空をかけてゆく
太陽がいればそこには
太陽に連れだって進む太陽犬がいるだろう
しかもしばしば幻日は
太陽の両側に
二匹が連れそっているらしい
現実に見たことはない
極地に行かなければまず見られない現象だ
けれどもその光景を想像すると
杖をついて歩く聖ラザロに
忠実に従う二匹の犬の姿を
思わずにはいられなくなった
The Sun Dogs
3ピースのロックバンドをやるなら
これ以上はない完璧な名前
こうしたことはすべて一瞬
頭をよぎるが
雲の通過にすぎない
ただ過ぎてゆく
突然、夢ちゃんが
ゲンジツ来た、と大声でいうので
見ると片手に野球のミットをはめた
男の子が歩いてくる。
ところで目が覚めて
ああ、きょうも仕事
と口をつく言葉に
一瞬で現実に引き戻された
きょうはいい天気
朝の青空がひろがっている
冬だ
見つめることのできない眩しい太陽が
思考を非常に清潔にしてくれる
履歴を簡潔に
簡明にしてくれる
すぐにでも起き出して
観測を始めなくてはならない
白鳥が渡来する池のほとりの道を
今日は歩いてゆくのだ
すると太陽が次々に上り
空には十二の太陽が乱舞している
それぞれの太陽が二匹ずつの太陽犬を連れて
整然とした踊りをおどっている
こんな宇宙は見たことがなかった
真実とはこういうものだろうか
と思ったとき、ぼくは明るい気持ちで
世界を受け入れる準備ができたようだ
十二の太陽と
二十四の幻日が
ひとつの生涯には十分すぎる
光の場を提供してくれる
肌はガラスのように透きとおり
魂の鼓動を見せるだろう
心は光のひとつの状態にすぎない
心は太陽を真似る
幻日
太陽の犬たち
また流浪の一年だ