僕の樹には誰もいない

若松恵子

今年の3月に亡くなった松村雄策の10冊目の本が、河出書房新社より10月に刊行された。松村ファンには、うれしい新刊である。

出版を実現させた編集者の米田郷之氏(ニール・ヤングの自伝を翻訳出版するために会社を辞めて1人でストランド・ブックスを作った人)が、出版までの経緯をあとがきに記してくれている。2020年1月5日、獣神サンダー・ライガーの引退試合の後にいっしょに酒を飲んだ折に「米田、俺、本をまだ九冊しか出していないんだよ」「十冊目を出したいんだよ」と言われたことをきっかけに今回の本づくりは始まっている。「十冊目を」の前に念を押すように「生きているうちに」とおっしゃっていた。と、米田氏は重ねて書く。残念ながら生きているうちには叶わなかったけれど、「十冊目の約束」を粘り強く実現させた彼のおかげで、松村の新刊を手にすることができた。本という形の彼を手元に置いて、折々に繰り返し読む(尋ねる)ことができる。

『僕の樹には誰もいない』の収録作品を松村と一緒に選ぶという事はできなかった。単行本未収録の原稿の切り抜きを(ほとんどがロッキング・オンに掲載されたものだ)託された米田氏が悩みに悩んだ末、2010年以降から直近までの原稿で編んだのが今回の1冊になった。
「ロッキング・オン」掲載当時に読んでいると思うのだけれど、今読んでも新鮮でおもしろい。松村雄策という独特の感受性に、彼のエッセイを通じて出会うことができる。

『僕の樹には誰もいない』というのは、生前彼が決めていた題名だという事だ。さみしい題名なのかと思っていたら、この題名に関して、ロッキング・オン時代の盟友、橘川幸夫さんがコラムで教えてくれた。これは、ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」からの引用だという事だ。

 私という木には他にだれもいないと思う
 つまり私と同じ人間はいないのだ
 だから無理して合わせる必要はない
 だいじょうぶだよ
 そんなにまずいこととは思わないね
 (『ビートルズ詩集』岩谷宏訳/シンコーミュージック1985年)

みんな去って行ってしまって誰も居ないということではなかったのだ。人と無理に合わせようとしなくても大丈夫だよ。という題名だったのだ。そう、ジョン・レノンが歌っているよというタイトルだったのだ。大勢ではなかったかもしれないけれど、彼を「わかっていてくれる」読者に支えられてブレずに松村らしくあり続けた彼の文章を読むのは、幸福な時間だ。