日が暮れるのが少しずつ遅くなっている。5時過ぎても暗くならないのに気付いて、春が近づいているのだとわかってうれしい。
年末年始に、積読だった本を並べ直して、気ままに選んだ本を読んだ。2冊の回想録。本の中にたくさんの人が生きている。
森まゆみ著『路上のポルトレ―憶いだす人びと』(2020年11月/羽鳥書店)は、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』の編集人であった森が出会った忘れ得ぬ人のことを綴ったエッセイ集だ。雑誌『小説すばる』に連載したものに、あちこちから頼まれた追悼文を加えて編んだ1冊だという。原田氏病を患ったこともあり、忘れることが早くなったそうで、「こぼれ落ちる記憶をたなごころですくい、そっと温めるように書いておくことはできないか」との思いがあったという。「あと十年もしたらそもそもここに書いてあることも忘れてしまう気がするから」と。登場する人の大半が今はもうこの世を去ってしまったという事もあり、1編1編しみじみと読んだ。特に自分の名を冠した仕事を残したわけではない、裏方として働いた人たちの面影に心魅かれた。森の仕事の岐路となった『鷗外の坂』を担当した若き編集者木村由花について書かれた章が心に残る。彼女ともうこの世で出会う事はないだろうけれど、彼女が編集した本に、きっとどこかで出会うことになるだろうと思うのだ。
満州事変勃発から太平洋戦争終結までの暗い時代に「精神の自由を掲げて戦った人々」について書いた『暗い時代の人々』(2017年5月/亜紀書房)のまえがきには、森が書名を“引用”したハンナ・アレントの一文が載っている。「最も暗い時代においてさえ、人は何かしら光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論や概念からというよりはむしろ少数の人々がともす不確かでちらちらゆれる、多くは弱い光から発すること、またこうした人々はその生活と仕事のなかで、ほとんどあらゆる環境のもとで光をともし、その光は地上でかれらに与えられたわずかな時間を超えて輝くであろうことを」(『暗い時代の人々』)
この言葉は,『路上のポルトレ』に登場する人たちにもそのままあてはまる。コロナ禍の閉塞感のなかで、彼ら彼女らは、ちらちらゆれる灯明のように見える。
もう1冊、椎根和著『銀座Hanako物語―バブルを駆け抜けた雑誌の2000日』(2014年3月/紀伊國屋書店)は、マガジンハウスの週刊誌ハナコの創刊編集長を務めた椎根和(しいね やまと)の回想録だ。椎根は雑誌ポパイについての回想録も書いていて、おもしろかったのでこの本も買っておいたのだった。こちらも『週刊読書人』に連載したものを加筆修正して1冊にまとめたものだ。「ハナコ現象」という言葉を生むようになる週刊誌「Hanako」の1988年創刊から椎根が編集長を降りる1993年までの編集部の物語だ。副編集長を務めた柿内扶仁子をはじめ、デザイナー、写真家、ライター、編集部に配属された新入3人組など個性的な人たちが登場する。海外ブランド、ボージョレヌーボー、ティラミス、デパ地下、ホテルでのクリスマスなどバブル期に数々のブームを巻き起こすきっかけとなった特集記事がどんな経緯で生まれたのかを知っておもしろかった。どのブームも編集部のあるメンバーの「好き」から発していたのだというのは興味深かった。椎根も含めて「趣味の偏った人物」のアンテナがキャッチしたものが大当たりしたというのは、運の良さも半分影響していたのかもしれない。当時の編集部の人たちも、おいしいものを食べ、海外旅行に行き、高価なブランド物を買う事ができる高給を保証された特別の人たちだったということもある。自分には全く無縁の世界ではあるけれど、雑誌にワクワクした時代の風雲録は、読んでいておもしろかった。
椎根和が1942年生まれ、向田邦子の盟友であった柿内扶仁子が1940年生まれ。スポンサーに忖度せず、マーケティングもあまり気にしないで、自分の力を信じて切り開いていく古き良き仕事人の姿を読むのがおもしろかったのだと思う。