森瑤子の帽子

若松恵子

『森瑤子の帽子』島﨑今日子著(幻冬舎/2019年2月)を書店の本棚でみつけた。チャボ(仲井戸麗市氏)の奥さんのカメラマン、おおくぼひさこ撮影による森瑤子のポートレイトが美しい表紙に魅かれて手に取った。『安井かずみがいた時代』を書いた著者による森瑤子の評伝とわかって、さっそく買ってきて、夢中になって読んだ。

「小説幻冬」の2017年11月号から2018年12月号に連載したものに加筆し、1冊にまとめたものだという。

私には、森瑤子がデビューした年を指標にしていた時期がある。まだ、彼女がデビューした年にはあと2年あるのだから・・・というように。何にデビューするつもりだったのだろうかと今は笑ってしまうが、また、それを40歳と思い込んでいたのだが、彼女のデビューは38歳で、そして彼女が亡くなったのは52歳だったのだと、この本で改めて知った。はるかに大人であった森瑤子の没年も通り越した今、彼女の人生について書かれたものを読むことは感慨深い。本書には「あとがき」が無く、森瑤子の評伝を書くに至った島﨑今日子の思いを知ることはできないが、扉に、献辞のように次の言葉が載っている。

もう若くない女の焦燥と性を描いて三十八歳でデビュー、
五十二歳でこの世を去るまでの十五年の間に百冊を超える本を世に送り出し、
その華やかなライフスタイルで女性の憧れを集めた。
日本のゴールデンエイジを駆け抜けた小説家は、いつも、
帽子の陰から真っ赤な唇で笑っていた。

読み終えてから再びこの冒頭の文章に戻ってみると、森瑤子の人生を要約した、尊敬と愛情に満ちた良い文章だと感じる。

安井かずみの評伝にも共通していると思うが、森瑤子その人への興味だけでなく、彼女が活躍した時代、「日本のゴールデンエイジ」へのこだわりが島﨑今日子にはあるように思える。

「『情事』によって、森瑤子という新しい名前と名声と経済力を手にした1人の主婦は、なりたい自分になっていく。」と島﨑今日子は書く。森瑤子が女性誌のグラビアに頻繁に登場した時代、ファッションやインテリア、旅が、望めば誰にでも手が届く夢として美しく描かれていた。タイアップ企画として資金を潤沢に出すスポンサーの存在があってこその夢だったのだと、今はいくぶん醒めた目で見ることもできるけれど、当時は送り手も半ば本気で夢は実現すると思っていたのではないかと思う。そうでなければ、受け手だって本気でうっとりするはずは無いのだ。

いつか、なりたい自分になっていけるとみんなが夢見ることができた時代、そんな「日本のゴールデンエイジ」に、なりたい自分になってみせた森瑤子、そういう存在を生み出し得た元気な時代へのなつかしさが、この本の底に流れているように思える。デビュー前は普通の主婦であったということ、大学時代は器楽課でバイオリンを学んでいて、小説を書く専門分野の勉強をしていたわけではなかったという事、美人ではなかったということ。それらが、私にもなれるかもしれないという漠然とした夢を重ねられる存在として、多くの人に受け入れられた理由だったのかもしれない。

そんな風にみんなに憧れられた森瑤子自身もまた、他者への憧れによって、自分を引っ張り上げた人であった、実は自分に自信が持てなくて、「帽子の陰から」笑う人であったということも、本書では丁寧に綴られる。芸大の同期生であったヴァイオリニストの瀬戸瑤子(森瑤子のペンネームは彼女の旧姓林瑤子にちなんでいる)、「情事」の献辞にある女友達、波嵯栄(ハサウェイ)総子。努力しなくても森瑤子の欲しいものを持っていた2人への憧れがどんなに強かったか、結局は手に届かないものだったのではないか(2人とも森瑤子の著作の愛読者ではなかった)と思える部分もあって、痛ましくも感じる。

そして島﨑今日子は「日本中がバブルに踊る最中にあって、女性誌のグラビアの常連となって、女たちがため息を吐くゴージャスライフを送った」彼女の「我々がそんな生活の深い陰を知るのは、彼女がいなくなってからのことだ」と綴る。

森瑤子の3人の娘たち、夫、秘書の本田緑らへの取材によって、森瑤子であるためにどんなに大変であったかが明るみに出される。2つの島を買うための借金返済が没後にまで続いたことも語られる。そんなに易々とドリームライフが送れるわけはないという事が明かされるのだ。しかし私は、それを知ることによって森瑤子への夢がしぼんでしまうということにはならなかった。もう、森瑤子に憧れるというレベルではなく、夢を求めて懸命に生きた一人の女性の人生というものが分かって、深い共感を覚えたのだった。そのような読後感を抱いたのは、森瑤子の舞台裏を暴くという姿勢ではない島﨑今日子の立ち位置を感じたせいだったからかもしれない。

森瑤子をめぐる多様な人に会って話を聞き1冊の本を書きあげることで、つきつめれば、自分を表現するために書く人であった森瑤子というひとにたどり着き、自分もまた書く人である島﨑今日子は心から共感したのではないかと思った。

沢山の著作はあるが、どれも「情事」を越えられなかったのではないかと意地悪な見方をする人も居る。しかし、島﨑今日子は「意識がなくなるまで、そうして森瑤子は書き続けた」という一文で本書を閉じる。100冊以上の著作を世に送り出すということは、生半可なことではない。森瑤子は、帽子の陰からではあったが、自分を奮い立たせて(赤いルージュをひいて)文章を書き続けた(笑った)人であったのだ。

巻末には映画のエンドロールのように森瑤子の著作名が発行年順に並ぶ。あとがきよりもこちらにページを割くことを優先したのではないかと、島﨑の思いを想像して好感を持った。森瑤子の著作を読むこと、それが一番大切なことなのだと最後に分かってくる。この本は、そういう評伝なのである。