片岡義男と編集者の物語

若松恵子

新刊を待ち望んで、ただひたすら飽きずに読んできた唯一の作家が片岡義男だ。
『アップルサイダーと彼女』で出会った頃は、ちょうど赤い背表紙の角川文庫が次々発売されていて、雑誌のように気軽に片岡の新刊をどんどん読めたのは、その同時代を体験できたことはラッキーだったと思う。

「片岡作品でお勧めはどれですか?」と時々聞かれるけれど、今となっては膨大になってしまった作品群からどれかを選べと言われると難しい。次々にパッケージをあけて、新鮮なうちに読んでしまうという(食べてしまう)のが、いちばんふさわしい読み方で、どれも片岡作品なのです、気に入るものが見つかると良いね、という感じだ。

書店から赤い背表紙の文庫本は姿を消したけれど、今は片岡作品を電子化しているサイトがあるから、気になったものを手に取って次々読んでみるのが一番良いのではないかと思う。

これだけ長い間書き続けていて、作品数も膨大になる片岡義男だが、作家論のようなものは書かれていないようだ。彼を研究したり、批評したりする人はまだ登場していないのだろうか?彼の作品は、最初から今に至るまで片岡義男そのものだから、何か、深化の道筋を研究するような対象ではないのかもしれない。けれど、これだけ長い間読み続けていると、何か変わったな、と感じた時が何回かあって、作品を読み直して、潮の変わり目となった作品をもういちど見つけ出してみたいと思っていた。

○○紀のように、片岡作品に流れるいくつかの時代を名付けてみたいなと漠然と考えていた。そんな空想をしていたある日、片岡作品の変化は、片岡に作品を依頼した編集者によってもたらされたのではないかと思いあたった。「作品が書かれるきっかけは、編集者からの依頼です」と、かつて彼は語っていたではないか。

「あとがき」やエッセイに登場した編集者を思い浮かべてみる。
まずは、片岡に「あなたは作品を書く側の人になりなさい」と言った『マンハント』の編集長だった中田雅久。『ワンダーランド』を一緒に作った晶文社の津野海太郎、『野生時代』の創刊号に小説を依頼した角川春樹、毎月のように同紙に小説を掲載することになった時代の担当編集者(たぶん加藤芳則)、『小説新潮』に小説を掲載し、80年代末から90年代初めに新潮社からの出版が続く時代に担当していた編集者(たぶん森田裕美子)、雑誌『スイッチ』の新井敏記、『日本語の外へ』執筆のきっかけをつくった吉田保、これまでの片岡作品とは、がらっと違う表紙をつくった『白い指先の小説』からの八巻美恵、文芸誌『群像』に片岡作品を登場させた(たぶん須田美音)、『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ』以降の作品で再び片岡義男ブームを起こした篠原恒木。それぞれの編集者から見た片岡義男を聞いてみたいなと思う。彼ら、彼女らが片岡のどこに魅かれ、どういうことを考えて作品を依頼することになったのか。実際に出来上がった作品を見てどう思ったのか。

編集者の数だけ片岡義男像があるのだろうと思う。それを束ねることで、片岡義男論になるかもしれない。もう亡くなってしまった人については、片岡さんから話を聞くしかないのだろうけれど、また、写真集をつくるきっかけとなった編集者の存在はわからいのだけれど、こんなことを考えて遊んでいる。