片岡義男さんの新刊エッセイ集『珈琲が呼ぶ』(2018年1月刊/光文社)が好調な売れ行きでうれしい。篠原恒木さんが編集した前作『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』(2016年2月刊 光文社)と兄弟みたいな風貌の本にできあがっている。
あとがきで片岡さん自身の「話はきっと多岐にわたるよ」という言葉が出てくるけれど、映画や歌のなかのコーヒーを含め、様々な場面でのコーヒーが描かれていておもしろい。
今作にも、神保町の喫茶店を梯子しながら原稿を書いていた頃の片岡さんが登場するけれど、やはりこの辺の話には心魅かれる。60年代の終わりから70年代の初め、青年の片岡さんが歩く神保町の街。友人とふたり『まんがQ』の編集長に会いに行った話。インスタントコーヒーの「おいしさ」というものをみごとに描いた松本正彦の漫画について語った一編など、新鮮な印象をもった。ほとんどの作品を読んできたけれど、まだまだ知らない片岡さんが居るんだと思った。
45編のエッセイを行きつ戻りつ、少しずつ時間をかけて楽しんで読んだ。そして、コーヒーもたくさん飲んだ。
片岡さんの小説の中で印象的なコーヒーの場面はどれだったかなと思い出してみた。最初に思い浮かんだのは、女性がテイクアウトのコーヒーを飲みながら、ただ通りを歩いていく様子を描写しただけの短い一編だ。『吹いていく風のバラッド』(1981年2月刊/角川文庫)あたりだったかなと、本棚から抜き出して見てみると、さがしていた1遍は18番目にあった。読み返してみると、コーヒーを飲みながら歩いていく彼女は、最後は地下鉄に乗っている。その部分は忘れてしまっていた。コーヒーを飲みながら歩いていく姿と往復8車線の広々とした道路の気持ち良さが心に残る作品だった。1981年当時、テイクアウトの紙コップのコーヒーをそのまま飲みながら歩くというのは、とても新鮮な振る舞いだったのだ。今ではすっかり見慣れた風景になってしまったけれど。
そしてもうひとつは、カウボーイが淹れてくれたハチミツ入りの熱いコーヒー。「彼はいま羊飼い」(『いい旅を、と誰もが言った』所収)のなかの1杯だ。人に会うのは7か月ぶりくらいかなと語るカウボーイが淹れてくれた「自分をとりまいている自然のなかのあらゆるものが凝縮されている」ような1杯の熱いコーヒーだ。
人里を遠く離れた丘のつらなり。澄みきった冷たい夜の空気。夕もやの、しっとりした香気。夜の匂い。草のうえにいる数百頭の羊たちの合唱。犬の声。そういったおだやかな物音が吸い込まれていく、自然の空間の広さ。もうはじまっている、高原のながい夜の静寂。こういったものすべてが、1杯のコーヒーになって自分の体の内部に流れこんだ。と同時に、スティーブンの感覚は、コーヒーが口のなかに入った一瞬、冷たい夕もやの立ちこめる夜の広さのなかへ、いっきに解き放たれた。
こんな片岡さんの描写のなかで、コーヒーが香っている。