秋の日の片岡義男三昧

若松恵子

片岡義男の新刊『あとがき』(2018年10月/晶文社)は、その書名の通り、彼の書いた「あとがき」ばかりを集めた本だ。発売を心待ちにしていた。多くの片岡ファンも同じ気持ちだと思うが、新刊を手に取るとまず「あとがき」を読む。新刊のあとがきに、彼の最新の声を聞けるような気がするからだ。

今回の本には、1971年の『ぼくはプレスリーが大好き』から2018年の『珈琲が呼ぶ』まで、発行年代順に137の「あとがき」が並ぶ。一度は読んだことがある「あとがき」。今も色あせてはいない。これだけ続けて読んでも飽きないのは、ひとつひとつの「あとがき」が著者自身による最良の作品解説になっているからだ。こんな風に簡潔に、明晰に作品を語ることなんてできないなと思う。

『波乗りの島』(1979年/角川書店)のあとがきのなかに、自分が描く世界について触れたこんな言葉がある。「小説を書くときにどうしてもぼくがこだわるのは、湿りのごくすくない、しかも広い空間のなかに、人の気持が解き放たれるか、あるいはそのような可能性の大きい世界に、舞台を設定したい、ということだ。(中略)陽ざしとか雨とか、空や海の広がりを相手にするとき、人は、気持ちをせまく湿らせたままでいると、役立たずになってしまう。乾かざるを得ないという状態がながくつづけば、ごく自然に乾いていることが当然になってきて、ぼくとしてはそのような世界がいちばんいい。」この言葉を読むことで『白い波の荒野へ』のラストシーン、主人公が祖父の口癖として、その意味もわからずに覚えていた言葉「ようけ働かんと食えんがの」とつぶやく場面がなぜ心に残るのか、その不思議な味わいの意味がわかったような気がした。

作品が生まれたきっかけや作品を書いた季節についての記述も度々登場して、それも「あとがき」の魅力のひとつだ。「太平洋を越える飛行機のなかで原稿を書き続けたことを僕はいまでも覚えている」なんていう記述には、作家の姿が垣間見えて本当にワクワクしてしまう。『ぼくはプレスリーが大好き』が改題されて『音楽風景』となり、さらに『エルヴィスから始まった』という題名でちくま文庫になった時のあとがきには、この作品を書き始める直前、エルヴィスの足跡を訪ねたアメリカの旅のことが語られている。このあとがきは今回の本で初めて読むことができた。本編には出てこない、片岡自身の物語として心に残る。

『スターダスト・ハイウエイ』(1978年/角川文庫)のあとがきには、雑誌に書いた短いエッセイが引用されている。夏の間、牧場の納屋の外に置いたベッドで眠る老夫婦の話だ。
「夜、月が高くのぼるころ、林のずっと遠くから、月光の中を夜の風に乗り、林の樹々のてっぺんをかすめ、コヨーテの鳴き声が、老人夫婦の耳に届く。(中略)ならんでベッドに腰をおろし、夜の林に姿を見せる魔女やゴブリンたちを、ふたりは飽かずながめる。夜の主役たちのじゃまをしないよう、ふたりはそっとむこうの林を指さしては、小さな声で語りあう。」たぶん生涯経験することがないであろう夏の夜の風に、想像のなかで吹かれる。こんなに印象的な「あとがき」を、かつて私は読んだのだろうか。本棚から角川文庫の『スターダスト・ハイウエイ』を探しだして、ページをめくると、確かにその物語は「あとがき」のなかに引用されていた。私の文庫本は、1980年1月発行の第4版だ。

収録されている「あとがき」は、赤い背表紙の角川文庫の1980年代が46と一番多い。書店に並ぶたびに購入して次々に読んだ時代だ。残念ながら解説のみであとがきが無い文庫もいくつかあるが、今回、この時代のあとがきを読んで作品を読み返したくなった。順番に本棚から抜き出してきて読み返していくと、あっという間に時間がたってしまう。あとがきと作品とを行ったり来たりしながら、秋のよく晴れた休日は、片岡義男三昧の一日となる。