映画「ゴジラ」第1作の、60周年記念デジタルリマスター版を新宿で見る。見ておいて本当に良かったと思った。「ゴジラ」のことは、知っていると思っていた。しかも、ミニラとか、メカゴジラとか、ふざけている感じがして馬鹿にしていたところもあった。良く知らなかったくせにごめんなさい。
続編のシリーズでは、ゴジラは他の怪獣と戦う存在になっていって、ついには人間の味方になってしまい、とうとう”シェー”までやってしまう事になるのだが、第1作を見ると、ゴジラはそういう存在として生み出されたのではないことがよくわかる。
1954年の「ゴジラ」は、実にまじめな映画である。「怪獣」や「破壊」が主人公ではなくて、目の前の惨事を何とか食い止めようと格闘する「人間」が主人公の映画なのだ。そして、登場する昭和の日本人が、自分の感情や都合よりも世のなかの事を優先していて、その立派な姿に考えさせられた。印象的なセリフがいくつもあった。
この映画をつくった人たちは、ゴジラを出現させてしまった社会を反省し、二度とゴジラを登場させてはならないという立場に立っている。悲観的になるわけでもなく、なんとかするのだという、前向きの意志が貫かれている。物見の見物ではなくて、当事者として引き受ける気持ちがある事が、ゴジラの描き方に影響しているのではないかと思った。
決して人間と心を通わせることが無い存在であることは、ゴジラが容赦なく、わしわしと街を破壊していく姿にあらわされているが、ゴジラだけを悪者にしていない気持ちが、ゴジラを少し親しみやすい印象にしている。山が動いたような背中のギザギザが、手作り感があって良い。特撮映画の金字塔と言われている作品だが、ジオラマなどを見ると、手を抜かない職人の丁寧な仕事を感じる。山の端にゴジラが顔を出す最初のシーンなど、3Dで飛び出さなくたって本当にドキリとして怖い。斬新な演出だと感動する。こういう所にも、技術力より、人間力を感じる。
7月25日には、ハリウッドでリメイクされた「GODZILLA」が公開される。テーマソングを含めて、第1作ですべて語りつくされているとも思うのだが、福島原発事故の経験も経た今、何が描かれるのか見てみたい気もする。何を今さらゴジラという時代でもないのだ。