『Get back SUB!』を鞄に入れてた12月

若松恵子

1970年から1973年の間に6冊を発行し、今も色あせない魅力を持つ”伝説”のリトル・マガジン『季刊 サブ(SUB)』。この雑誌の編集人である、小島素治という”ひとりぼっちのあいつ=Nowhere man”を追いかけた物語『Get back SUB!―あるリトル・マガジンの魂』(北沢夏音著/本の雑誌社)が10月に出版された。

以前片岡義男さんにインタビューした時、「そういえば、サブという雑誌があったな」という言葉に、有名なゲイ雑誌と勘違いした反応をしてしまい、会話はそれきりになってしまったことがあった。「サブ」は「サブカルチャー」の略で、浅井慎平氏が多くの写真を寄せていた雑誌であるという事を後から知り、先の会話をずっと後悔していたのだった。そんな事もあって、「サブ」とその編集人の小島素治氏について書かれた本が出版されたと聞き、早速手に入れたのだった。著者の北沢夏音氏は、私と同じ1962年生まれ。

「ものごころついたのが、カウンター・カルチュア華やかなりし昭和40年代と重なる所為か、その時代―世界的に”The Psychedelic Era”と呼ばれる1965年から69年、そして燃えさかった熱が静かに引いて行った72、73年まで―の混沌と、若さと、反逆精神に、ぼくは惹かれ続けてきた。単なる郷愁でも懐古趣味でもなく、どこか根元的な理由から、自分がどこで生まれ、どこから来たのかを知らなければ、どこへ行くのかもわからないはずだという直観にかられて、それこそものごころがついてからずっと、同時代の空気を呼吸するのと同じくらい<あたりまえのこと>として、時間線を繰り返し遡ってきた。」本の冒頭、北沢氏はこのように書く。この言葉に私も共感する。ものごころつく頃に垣間見た花開く世界、来るべきものの予感に満ちていた時代について、あれは何だったのだろうと確かめたい思いが私にもある。

ある日、古本屋の片隅で「季刊サブ 特集=ヒッピー・ラディカル・エレガンス<花と革命>1970創刊号」に出逢い、「ヒッピー」と「ラディカル」に「エラガンス」を続けたタイトルを見て、「天啓にうたれたような気持になった」北沢氏は、その小さな雑誌の編集人小島素治氏に興味を覚える。そして彼が生み出した、誰にも真似することができない雑誌『ぶっく・れびゅう』、『ドレッサージ』、『ギャロップ』の存在を知り、彼がどんな人だったのか、ゆかりの人を訪ねながら紡いでいったのが、この著作だ。530ページもあるこの大作を鞄に入れて持ち歩きながら、私も北沢氏と一緒に旅をしたような12月だった。

ゆかりの人々の想い出によって描かれる小島素治氏。彼の仕事とその意味とは何だったのか。小島氏が東京で居候していたお茶の水の喫茶店「トムの店」の常連だったという中野翠がこう語っていて興味深い。「そうね。そのサブとか、サブカルチャーっていう言葉に、私なんかは妄想を抱いていたというか、夢見ていたというか、あんまり言葉では説明できないけれども、何をかっこいいと思ったのかしらね…。私がサブカルチャーに惹かれた理由の一つは、私が<世間的なもの>が一貫してわからないせいかもしれない。やっぱり何でも大ヒットするものっていうのは、絶対どこか下世話なものだし、すごく世間的な価値基準みたいなものを前面にだしているのね。」

「ヒッピー」を「ラディカル」とも、ましてや「エレガント」などとは決して思わないのが世間というものだ。小島氏が『SUB』の紙面を使って世間に差し出したのは、世間にはまだ充分出回っていない、もうひとつの価値観であった。北沢氏はそれを、「時代の<最良の精神>」と呼んでいる。風のように吹いているもの。新しい時代の方から吹いていて、ある選ばれた人にしかキャッチすることができないもの…。

小島氏がつくった広告会社「スタディアム」の社員であった上野恵子氏はこう語る。「小島さんは、自分の好きなものについて、それを他人にわかるように語ることはあまりしなかったように思います。(略)曖昧な『好き』という感覚を自分のなかに漂わせている、それで心を満たしておく、そこが編集者の大事なところなのかな、と駆け出しの私は小島さんを観て感じていました。」と。小島氏が「つきつめなかった」事を「なまけものだった」と語る人も居る。確かに、「好き」という気持ちを、曖昧なまま、その気分そのままに提示したところが小島素治氏の魅力でもあり、弱さでもあったのかもしれない。

しかし、「好き」という気分が、言葉を超えて、ある確信を先にもたらすという事はあるように思う。
「警官に向かって、石ではなく花を投げるエレガンス。そんな闘い方が出来たこと、それこそが60年代の最も研ぎ澄まされたソフィスティケイションだったのだ。」と北沢氏は書く。私も、石よりも花を投げる方が洗練されていると思う。直観的に石ではなく花を手に取る人々の方が断然「好き」だ。小島氏を含め、そういう存在が社会に居場所を持てるようになった時代が、北沢氏も私も惹かれる70年代なのではないかと思った。

「時代の<最良の精神>が発するメッセージを受けとめ、それに対するパーソナルな感応を宝石のように蒐めて、魂の記念碑(ソウル・モニュメント)を作り上げ<雑誌>というタイムカプセルに刻印する。編集者、小島素治の本領(エレメント)は「捧げること(トリビュート)にあるのだ。」小島素治の仕事について、北沢氏はこう表現している。彼の今回の著作にそのまま当て嵌まる言葉だと思う。