同世代の文化人として、いとうせいこうの仕事には共感を持って注目している。先日、不慮の自転車事故で未だ意識不明状態のミュージシャン、朝本浩文さんを励ます「朝本エイド」が開かれたのだけれど、そこでも彼は、印象的なパフォーマンスを行った。朝本氏もメンバーだったミュートビートをバックに、詩を朗読したのだ。レゲエの”ダブポエトリー”と呼ばれるものだ。
昔のレゲエのシングル盤のB面は、ボーカルトラックを抜いてリズムトラックだけにした”バージョン”と呼ばれるカラオケがほとんどだった。この”バージョン”にエフェクト処理をして、ベースやドラムをやたらと強調したり、リバーブをかけ位相をずらし、リズムギターにエコーをかけてカットインカットアウトさせたりして加工したものが”ダブ”だ。この”ダブ”をバックに詩を朗読するのが”ダブポエトリー”だが、この分野で有名なLKJ(リントン・クエジ・ジョンソン)は、詩にあわせてダブを作った。詩の言葉の抑揚がベースラインとなり、アクセントがビート、リズムと化す。
「言葉が具体的な思考、メッセージを表すとしたら、ダブは、その裏に潜む感情、鼓動、情景を表すもの」(『訳詩でみるレゲエの世界』菅野和彦・酒井裕子編著より引用)だ。LKJの放つ抵抗の言葉にダブの「冷静沈着ながらはじけ飛ぶリズムとパワフルに底を揺さぶるベース」が呼応してひとつの強靭なメッセージを編み上げていく。音に裏付けされたメッセージは、人の心に強く響いていく。いとうせいこうの”ダブポエトリー”は、LKJを受け継ぐスタイルのようだ。
充分議論をつくしたわけでもないのに、もう決まったかのように、あいつらは押し進めようとしている。
…冷静沈着ながら、はじけ飛ぶリズムとパワフルに底を揺さぶるベース。
あいつらには絶対に理解できないクールなリズムで、私たちの決心を刻まなければならない。あいつらの文脈を軽々と飛び越えるクールな表現を手に入れなければならない。
ひとりひとりが自由で、そのうえで横につながれるメッセージを、注意深く、鋭く、いとうせいこうは発信する。ダブと共に届けることはできないけれど、朝本エイドで朗読された詩を、相棒が書き取ったバージョンで引用したいと思う。
「African DUB / いとうせいこう」 DUB POET全文
人間は未来を変えられる。
人間は未来を変えられる、動物である。人間は未来を変えられる。
人間は未来を変えられる、動物である。変えた未来の中にしか人間は、いられない。
これまで多くの破壊と殺戮を繰り返している。
これまで多くの破壊と殺戮を繰り返している。自然や生命がある程度取り戻せる範囲内に
それはとどまっている。にもかかわらず
にもかかわらずまったくちがう!
ビースティ・ボーイズは言っている。
「人間は絶滅に向かっている。
金銭的利益のために兵器を作っているからだ。」諸君!
自分でかけた暗示のトリックに、自分ではまっちまったらおしまいだ。
そいつは暗示のレールの上を一直線に走っていくだけさ。
だから、だから、暗示の外へ出ろ。
俺たちには未来がある。
暗示の外へ出ろ。
俺たちには未来がある。諸君、私は問いたいのだ。
悪の衝動があるのなら、善の衝動もあるのではないかと。
悪がこの世を覆うならば、善もこの世に充ち満ちるべきではないか、諸君!すべての悪を撃破して、我々は進む。
すべての悪を撃破して、我々は進む。
百万の軍隊も善を止めることなど出来ない。
花を植えよ、道を清めよ、貧しさに与えよ、正しさを求めよ。同志よ、「善のネーション」よ!
「善のネーション」、応答せよ。
「善のネーション」、応答せよ。
それはもはや宇宙の「法」である、諸君!自分でかけた暗示のトリックに、自分ではまっちまったらおしまいだ。
だから、暗示の外へ出ろ。
俺たちには未来がある。
それはもはや宇宙の「法」である、諸君!東に病気の子があれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って「怖がらなくてもいい」と言い
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い
(宮沢賢治「雨二モマケズ」より)暗示の外へ出ろ
PEACE & LOVEPEACE!