村上春樹著『職業としての小説家』(2015年9月/スイッチパブリッシング)をおもしろく読んだ。「職業としての」と但し書きが付いているように、小説を書くことを仕事にして生きていくという事は、どんなことなのか、村上自身が振り返って綴った文章だ。
あとがきによると、「自分が小説を書くことについて、こうして小説家として小説を書き続けている状況について、まとめて何かを語っておきたいという気持ちは前々からあり、仕事の合間に暇を見つけては、そういう文章を少しずつ断片的に、テーマ別に書き溜めていた。」ということで、「最初から自発的に、いわば自分自身のために書き始めた文章」ということだ。翻訳家の柴田元幸氏編集の雑誌『Monkey』に連載として発表され、今回の単行本にまとめられた。
勿論小説家になるための有効な方法が書かれているわけではないけれど、小説家になりたいと考えている人は、きっと励まされるだろうなと思った。ここに綴られているのは、ひとりの人が、自分自身が心から納得できる仕事をしたいと願って、1日1日こつこつと誠実に仕事をする話なのだ。そして、「小説家」という職業を続けるなかから(リングから降りずに続けていくという事自体がたいへんなことなのだが)村上氏が確信した様々なことは、小説家になりたいとは思っていない私にも大変おもしろく参考になる言葉だった。
例えば「オリジナリティ」について。彼は10代の頃に、ビートルズやビーチボーイズに出会った頃のことを振り返って、「その音楽は僕の魂の新しい窓を開き、その窓からこれまでにない新しい空気が吹き込ん」できて、「いろんな現実の制約から解き放たれ、自分の身体が地上から数センチだけ浮き上がっているような」幸福感がもたらされたと語る。そして、その幸福感をもたらした、今まで聴いたことがなかった響きがオリジナリティだと語る。自分も小説によってそんな幸福感を再現したいし、自分の小説によって「人々の心の壁に新しい窓を開け、そこに新鮮な空気を吹き込んでみたい」とも語っていて心に残った。
デビュー当時、村上の小説を「外国文学の焼き直し」と批判する発言もあった。じゃあ「オリジナリティー」とは何なのだ。無責任な批判に対して、村上自身が自分で指標を立てることが必用だったのだろう。
「職業として」やっていくには、世間と接点をもたないわけにはいかない。世間は小説家に勝手なイメージを抱いて、無責任に様々な言葉を投げかけてくる。文学賞について、作家としての日常生活について、外国での出版について…、常に向かい風のなかで、村上自身が納得できるあり方を考えぬいたすえの言葉はわかりやすく、心に響いた。
唐突だが、村上春樹と共通するものを、最近見たドキュメンタリー映画の中のボクサー、辰吉丈一郎に感じた。東京国際映画祭に出品された阪本順治監督のドキュメンタリー「ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年間」(2016年公開予定)は、インタビューに答える辰吉のクローズアップを20年間にわたってつないだ異色のドキュメンタリーだ。網膜剥離によって国内の試合の道が断たれながらも、海外に対戦相手をみつけ、ボクサーを続ける辰吉。ついには年齢的にライセンスも剥奪されたが、今だ「引退」せずボクサーであることを続けている。多少の気分の浮き沈みはあるにしても、語る内容も、語る姿もブレることなく、静かな辰吉の姿に感動した。
ボクサーも小説家と同じように、世間が勝手なイメージを抱き、夢を託し、無責任に投げかけてくる言葉と対峙しなければならない職業だ。辰吉が貧しい父子家庭に育ったことについて、網膜剥離や年齢によっても引退しないことについて、次男がプロボクサーのテストに受かったことについて…、世間は勝手にイメージを抱き、さまざまな意見を押し付けてくる。自分が納得できるあり方を求める、その1点にブレない辰吉。彼の言葉は世間の期待を裏切ってかっこいい。ボクサーになった自分を父はどう思っていたのかという質問に対して、「自分の子どもが殴り合うのを見たいと思う親はいないでしょう」と答える言葉が心に残った。インタビューに答える「言葉」だけで試合の様子は一切出てこないけれど、飽きることが無い82分だった。