心のスクリーンにうつす映画

若松恵子

「ミステリ・マガジン」(早川書房)の10月号から、片岡義男さんの連載小説「さらば、俺たちの拳銃」がスタートした。

「1960年代東京を舞台に、ニューフェイスの俳優コンビの活躍を描く。本文中には実在の映画、音楽、人物、場所そして架空のそれらが夢とも現実ともつかず立ち現れる。今後、主人公たちは、映画と現実、双方の事件に巻き込まれ、入れ子構造で謎が展開していく」。スタートに当っての、この紹介文を読んで、とてもうれしい気持ちになった。

2009年12月から2010年5月まで、5回にわたって片岡さんに1960年代についての話を聞き、この「水牛のように」に掲載していただいた。60年代に青年だった片岡さんが語るエピソードと共に、その時代を記憶しなおしてみたいというのがインタビューをお願いした動機だった。片岡さんの60年代を散歩してみたいと「片岡義男さんを歩く」というタイトルにしたのだった。”片岡さんこそ1960年代を語るにふさわしい”という思い込みを持って始めたインタビューだったけれど、つかみきれないまま終わってしまった。

「さらば、俺たちの拳銃」という小説によって1960年代が描かれ、しかもヨシオという人物も登場することを知って、うれしさはさらに深まった。片岡さんはやはり、小説によって描くことを選んだのだ。しかも実在の映画、音楽、人物、場所なども織り交ぜながら、「映画という虚構」と現実が入れ子構造になる予定という。「そうでなくっちゃ!片岡さん」と思った。

時代を懐かしく振りかえることや、まして意味づけることなどには一切の興味を持たない片岡さんだったが、「具体的な細かい話を順番に追っていくとおもしろいかもしれないね、日めくりのように」と始めたインタビューで、「ここに来る途中、考えていたのです。1960年の今日、1月18日は何をしていたかな、と」というわくわくするような言葉で始まった回があった。そして、1960年の1月、片岡さんは大学に行ったのだった。映画のなかで赤木圭一郎が着ていたようなオーバーを着て。

「さらば、俺たちの拳銃」の第2回、赤木圭一郎をイメージした主人公ケニーは、銀座の街をずっと歩いている。かろうじて思い浮かべることができる赤木圭一郎の面影を主人公に重ねて読み進んでいく。私が歩いてみたかった片岡さんの60年代が、言葉によって、心のスクリーンに映し出されていく。