桜の4月に、ボブ・ディランが来日した。2010年、2014年とオールスタンディングのライブハウス・ツアーを行ったディランだったが、今回は全席指定のホールでのライブとなった。「劇場でボブ・ディラン」という広告には笑ってしまったけれど、照明も音響も素晴らしくて劇場のボブ・ディランもなかなか良いなと思った。
ライブハウスで若者の熱狂に囲まれている前回のディランもかっこよかったけれど、今回のホールのディランに「何だ、落ち着いちゃったな」という印象は微塵もなくて、うれしかった。今回のツアーは東京10回、大阪3回、名古屋1回、仙台1回、横浜1回の計16回公演。日本でのディランの日々は、歌うこと以外はなかったのだろうな。ステージもサービスや過剰な演出のない、歌(音楽)一本に集中した進行だった。
私は4月4日初日のオーチャードホールと28日のパシフィコ横浜の最終日、もう少し見たくて追加でチケットを買った18日のオーチャードホールの計3回見ることができた。今回は1曲の入れかえ以外は同じセットリストだったのだけれど、もう1回聴きたいと思わせる魅力があって、できることなら全公演行きたかったと思うファンも大勢いただろう。ある意味、毎回お約束のステージをやったのに、聴くたびに新鮮で心が弾んだのは、さすがディランと彼のバンドの力だったのだと思う。
今回のツアーではオリジナル曲の間に「グレート・アメリカン・ソングブック」と称されるスタンダード曲が8曲組み込まれている。ディランの最新アルバム『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』、5月25日にリリースされる続編の『フォールン・エンジェルズ』に収録されている曲だ。『フォールン・エンジェルズ』から4曲が選ばれシングルカットされた来日記念盤が先行発売されていて、そこから3曲が演奏された。フランク・シナトラがカバーしたスタンダード曲とロック? と偏見を持ってしまうが、聴いてみるとどの曲も味わい深くて、初日を見た後にシングル盤をあらためて家で聴きなおした。
解説のなかに2014年のディランのインタビューが引用されていた。
「このアルバムをつくることは本当に名誉なことだった。こういうものをずっと前からやりたいと思っていたが、30人編成向けの複雑なアレンジを5人編成のバンド用に精製する勇気を持つことがなかなかできなかった。今回の演奏はすべてそれが鍵になっている。わたしたちはこれらの曲をこれ以上ないくらい熟知していた。すべてライヴで録音した。すべて1回か2回のテイクで終わった。オーヴァーダブはしなかった。ヴォーカル・ブースも使わなかった。ヘッドフォンも使わなかった。トラックを分けた録音もしなかった。ほとんどの曲は録音されたままの形でミキシングを行った。自分ではこれらの曲はどうみてもカバーとは思っていない。もう十分カバーされすぎて埋もれてしまっている。わたしとバンドがやっていることは、基本的にその覆いを外す作業だ。埋められた墓場から掘り起こして、もう一度人前にさらし、光をあてることだ」
この一文を読んで、今回の演奏の魅力のわけがわかった気がした。ビックバンドのナンバーは、みごとに5人のバンドサウンドに蒸留されていた。ディランの歌も歌うたびの新鮮さを持っていた。これはスタンダードナンバーに限らず、ディランのおなじみのナンバー「運命のひとひねり」や「風にふかれて」においても同じだった。ディランの楽曲自身も、演奏されるたびに覆いを外され、新しい光を当てられるのだ。彼がなぜ、ヒット曲を客の期待通りに歌わないのか、その意味が少し理解できたように思う。
前回の公演で心を撃ち抜かれた「ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ」は打って変わって優しい演奏で、また心を掴まれた。
2日目から登場した「ザット・オールド・ブラック・マジック」は、シングル盤で聴いた時からラテン風のリズムがチャーミングで気に入っていたが、公演で演奏を重ねるうちにどんどん調子が上がって、最終日は軽みの境地で、会場は大いに沸いていた。
「ザット・オールド・ブラック・マジック」の原曲は、ユーチューブで見ると男女2人が掛け合いで歌う楽天的なラブソングだ。録音技術は今より劣っていただろうけれど、今よりエネルーギーといたずら心に満ちていて驚く。心の原石そのままを歌にしたような楽曲だ。ディランは埋もれていたそんな曲をとりあげる。
ジャンルを越境していつも自由に先頭を歩いていくボブ・ディラン。歳をとっても色あせないロックというものを、そんな夢が可能である現場に立ち会えてうれしかった。
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2016年日本ツアーセットリスト
第1部
1 Things Have Changed (『Wonder Boys”(OST)』 2001)
2 She Belongs to Me (『Bringing It All Back Home』 1965)
3 Beyond Here Lies Nothin’ (『Together Through Life』2009)
4 What’ll I Do (『Shadows In The Night』2015)
5 Duquesne Whistle (『Tempest』 2012)
6 Melancholy Mood (来日記念EP『メランコリー・ムード』2016)
7 Pay in Blood (『Tempest』 2012)
8 I’m a Fool to Want You (『Shadows In The Night』2015)
9 That Old Black Magic (来日記念EP『メランコリー・ムード』2016)
10 Tangled Up in Blue (『Blood on the Tracks』1975)
休憩20分
第2部
11 High Water (For Charley Patton) (『Love and Theft』2001)
12 Why Try to Change Me Now (『Shadows In The Night』2015)
13 Early Roman Kings (『Tempest』 2012)
14 The Night We Called It a Day (『Shadows In The Night』2015)
15 Spirit on the Water (『Modern Times』2006)
16 Scarlet Town (『Tempest』 2012)
17 All or Nothing at All (来日記念EP『メランコリー・ムード』2016)
18 Long and Wasted Years (『Tempest』 2012)
19 Autumn Leaves (『Shadows In The Night』2015)
アンコール
20 Blowin’ in the Wind (『フリーホイーリン・ボ ブ・ディラン』)
21 Love Sick (『Time Out of Mind』 1997)