引越しをしたら

仲宗根浩

引っ越した。前に引っ越したのが東京から沖縄、だいたい十八年と十ヶ月ちょっと。いままでで一番長く住んでいた物件。コンクリートの表面が剥がれ落ち、鉄骨が出てきたあたりから、そろそろかなとおもい、今年に入っていろいろと新しい物件を探しはじめる。思いがけず近くにあった。物件探しは奥さんに任せていた。

契約にむけて動き始めると、いろいろな雑事で忙殺される。市役所に何回も行ったりと。そんなこんなで二週間かけて引越し作業。途中、こどもの卒業式、わたしの長引く風邪をはさみつつなんとか、入学式前に荷物だけは移すことができた。一丁目から四丁目への引越しがなせること、といってもかなりバタバタする。本、雑誌類は三割くらい処分。CDは三枚処分。家具もサイズがあたらしいところに合わないものは処分。服も数年着ていないものは大量処分。引越しは捨てる作業。

引越して色々なところに引越しのお知らせメールを送る。中学の同級生から赴任しているモスクワから今月戻るとの返事が来る。久しぶりに集まろう、とメールのやり取りが始まるがこちらから簡単にいけるところじゃないのと、休みが合わないだろうから行けないと南阿蘇にいるやつに返事を出す。それからしばらくして休みの日、酔っ払ってソファーで寝てしまっていたら、いきなり起こされる。熊本で大きい地震だと。小学校の半分、中学、高校と熊本市内の東の端っこらへんで過ごしていた。テレビを見るとただ事では無い様子がわかった。こっちに熊本から来ている姪っ子にメールする。返事では身内関係は無事という。実家に行くことにする。なぜか途中、飲み屋に寄り、30分くらいそこで少しテレビを見ながらビールを飲む。まだぴんときていないのだろうか。寄り道した後実家には兄も来ていた。兄の奥さんは翌日沖縄に戻る予定で熊本に行っていた。

電話は不通でLineが幸いにも通じていてそれで連絡が取れていた。十一時ごろ電話、携帯電話もつながるようになったので自宅にもどる。戻ってから夜通しテレビをずっと見ていた。明るくなって画面の下側に出てくる避難場所が小学生の頃、遠足でよく行ったところだったり、仮設トイレが設置された小学校が通っていたところだったり。

熊本には九年近く行っていない。風景もかなり変わってしまっているけど、画面に出てくる地名はよく知っているものばかりだった。なにかへんな感覚になる。遠い向こう側だけど、向こう側にいた記憶がいろいろよみがえる。二度目の大きな揺れがくるまえ。