宇宙とサザエさんの狭間で

三橋圭介

授業でこんな実験をしてみた。各自それぞれ自由に色えんぴつで絵を書いてきてもらう。具象、抽象、どんな絵でもいい。あらかじめその絵を言葉で説明できるように言っておく。全員が集まり、ひとりひとりがその絵を言葉だけで説明し、他の人がそれをききながら色えんぴつで言われた通りの絵を書いていく。物体の名称はそのまま使ってよいが、その場所や大きさを表現するのは難しい。右上の雲は「上半分から2センチから紙下半分くらいまで8モク(雲のやまのこと)」など。同じ説明でもまったく違う絵ができあがる。言われたような物体がそこにあることはあるが、全体のバランスを計ることとはむずかしい。具象でも抽象でもそれはあまりちがいがない。

これはスペースシャルの飛行士と地球の基地との交信で大切なことらしい。テレビでやっていた。危機のときの状況説明に必須なのだろう。とても複雑な色つきの図形を正確に描画できるらしい(実際にやっているところはやらなかった)。どうやったらそんなことができるか考えてみたが、なかなか難しい。簡単な図形ならできる。しかし机といっても形や大きさ、角度などいろいろある。できるだけ正確に伝えても言葉の感じ方でも変わってくる。実際、生徒たちは原画に対して意味不明な説明をしたし、絵を書いた。二人ほど、非常によく似た絵を書いた人もいた。そのちがいは、言葉の正確で具体的な表現、ききとり能力、正確な描写、それと勘のようなものだろう。

机ではなく、サザエさんならどうだろうか。みんなに頭のなかのサザエさんを書いてもらう。みんな一応、サザエさんを知っている。確かにサザエさんを思い浮かべることはできる。サザエさんと思うものは紙に書こうとするとサザエさんからズレていく。比較的近い人もいるが、髪型の特徴だけが残されて、眼や口の細部は曖昧になる。机のような機能や概念に親しみのあるものは別として、われわれの生きているほとんどの世界はそのようにあいまいなものなのだろう。そして言葉で説明することも難しい。ひとつズレるとそのズレがより大きなズレを引き起こしていく。しかし、それがおもしろい。オリジナルはどんどん形を変えていく。