「がやがやのうた」と高田和子追悼ライヴ

三橋圭介

  「あいだ」

港大尋とグループ「がやがや」のCDを作ることにした。きっかけはライヴを見に行ったことだった。こんな自由な歌をきいたことがないと思った。歌には決められた歌詞やメロディがある。普通ならうまく歌うことを心がけるかもしれない。しかし港も「がやがや」代表のきりさんも「声をそろえよう」とか「もっと感情をこめて」などとは決していわない。もちろん間違ってもそのままうたいきる。バラバラそろわない声、ふぞろいの即興的なリズム、いい間違えなどなど、それぞれの自発的な声が集まって、がやがや歌となって連なっていく。そこでは間違いは間違いではなく、失敗は失敗ではない。そういえば、かつて「水牛楽団」のCDのライナーノートにこんな風に書いた。

「常にゆれ動きながら逸脱しつづけるその音の河は、西洋音楽のようにいかに全員が歩調をあわせるかという理論ではない。進むべき確かな道もなく、音をすこしずつわけあい、寄り添うことで道を切り開いていく。/水牛楽団は歩くための理論をすてた。二歩前進のための一歩後退。足早に答えをだすことはない。何度つまずき、たおれようとも歌を通してともに歩きつづける。歩くことの実践のなか、あいまいなものをあいまいなまま正しく学ぶことで、人の歩みが交差する一本の道がみえてくる。」

港と「がやがや」にも同じことがいえる。「がやがや」は障害をもつ人とそうでない人が歌(などの表現)を通して共に活動している。身体や心に障害をもつ人は一般に「障害者」と呼ばれ、そうでない人はその名称のために「健常者」と呼ばれる。港の「名前」という歌にこんな歌詞がある。「上るは下りるがあるから上る 下りるは上るがあるから下りる 上るはありえない 下りるもありえない そのあいだあいだあいだあいだ あいだに行け」。「あいだ」とは二重拘束(ダブルバインド)された禅問答の答え(Aでもなく、Bでもない)を思い起こさせる。障害をもつかもたないかは現実的には大きなことかもしれない。しかしいろいろな背景をもつ人たちが違いを超えて集まり、「あいだ」という「あいまい」さに戯れながら楽しく歌い踊る。港と「がやがや」の歌声は、音楽のジャンルのあいだのなか、歌という目には見えない糸の「あいだ」のなかで「常にゆれ動きながら逸脱し」、どこまでも自由に羽を伸ばしていく。

ここにうたうということの根源の魅力を感じてもらえたらうれしく思う。

(「がやがやのうた」CDライナー・ノートより)

  「高田和子追悼ライヴ」

6月20日、高田和子さんから電話をもらった。今の病状をきく。返す言葉はなかった。一週間後、学習院大学で会う約束をした。だが数日後、体調を崩し入院。そのまま帰ることはなかった。亡くなる1週間ほど前、高田さんに会った。高田さんは私に会っていない。開け放たれた病室のドアから横になっている高田さんをちらりと見た。それが私の見た最後の高田和子だった。死は覚悟していても、いつも唐突にやってくる。三絃奏者、高田和子は7月18日、脊髄腫瘍のため、亡くなった。あまりに早い死だった。

高田和子の音楽の軌跡は苦悩と共にあった。伝統のしがらみのなか、それを突き破ろうと、常にもがいていた。死の直前まで高田和子に付き添い、見つめつづけた高橋悠治は、その盟友であり同志だった。11月8日、高田和子の誕生日のその日、高橋の呼びかけで「高田和子追悼ライヴ」(渋谷の公園通りクラシックス)が開かれた(この日に合わせ、水牛レーベルから追悼盤「鳥も使いか」が発売された。

集まったのは、斉藤徹、米川敏子、志村禅保、大学敏悠、下野戸亜弓、草間路代、寺嶋陸也、高田和子が率いた「糸」のメンバー西陽子、石川高、神田佳子。みんな高田和子との大きな思い出を共有している人たち。前半、彼女のために新作や古典、即興で音楽を捧げた。後半は志村の尺八の後、高田和子のDVDが上演された。

DVDは晩年の高田和子が取り組んでいた地声と三絃の作品の映像で、ビオレッタ・パラの「ありがとういのち」と「天使のリン(編曲:高橋悠治)、林光の「新しい歌」と「花の歌」(編曲:寺嶋陸也)、さらにCDに収められている「おやすみなさい」(高橋悠治作曲)などを含めると、生と死にまつわる作品が多いことに気づく。これは偶然ではない。彼女の人生が最後にこれらの歌を引き寄せた。その深い闇に沈んでいく唄声は儚く美しい。ありがとう、高田和子さん。そして、おやすみなさい。

(「高田和子追悼ライヴ」オン・ステージ新聞記事より)