響の墓

高橋悠治

11月8日 高田和子の 迎えることのなかった誕生日に向けて
友人たちにたすけられながら 追悼演奏会を組織し CDとDVDを編集した
約束していた追悼の曲を作ることはできなかった
声にならず 逝くひとにとどかなかった思いは みたされないまま
逝ったひとを忘れるための追悼の儀式ではなく
出会いの痕跡が変えた時間と空間の記憶を
響の墓に造り変えることを考えつづけ
そのあいだに いくつかのしごともした
10月には フェデリーコ・モンポウの『沈黙の音楽』を録音した
サン・フアン・デラ・クルスのことば「沈黙の音楽 孤独な響き」を
読み替えながら
11月には『子守歌』『インディアン日記』『トッカータ』
それにソナティナ6曲全部の ブゾーニのピアノ曲集の録音
『子守歌』の扉に書かれたブゾーニの詩
  こどものゆりかごがゆれるとき
  運命の秤がゆれている
  いのちの道は消える
  永遠の彼方へ
あるいは『トッカータ』にかかげられたフレスコバルディのことば
  「困難なしには目標に達しない」
を読み込みながら
作曲も すこしずつすすめている
まず 中嶋香のためのピアノ曲『なびかひ』
1972年に妻を喪った青木昌彦のために書いた合唱曲『玉藻』とおなじ
柿本人麻呂代作の挽歌で 夫を喪った妻のことばを
男女を反転してたどりながら
沈黙のなかに浮かぶ音の粒子の軌跡を記す楽譜を考える
次に ロンドンに住むキク・デイのための尺八曲『偲』
ケージに似た時間枠のなかに記された指と息のうごきの明暗
連句のように長短の枠のなかで 還ることなく流れ去る響
この連句の流動は 今年の夏書いた
東アジアの箏三種とチャンゴ合奏のための
『纒繞聲』まつわる音 で試みたかたち
すこしずつ課題となった『花筺』にちかづいている
問題は楽譜を書くということ
音符として確定しながら それを演奏する人に自発性を帰すこと
この無償の秩序は どうしたら創りだせるのか
流れを流れとするために 断ち切り 静寂のなかで
響を磨き 輝かせることが どうすればできるのか
そのことを伝えるためには 何を書けばいいのか
三味線に触れてまなんだことは
ほんのわずかな指の移動がさわりによって音色を変える
その危うさだった
伝統のなかで型に押し込まれてしまった楽器の
繊細な感覚を 別の場所に移して生かすことができるだろうか
たとえばピアノという 
音量と速度だけを誇りにしているような近代の楽器に
いまはそれしか手近にないから言うのだが
ピアニストの生活にはいつまでもなじめず いつも抵抗がある
残されたものがそれしかない と諦めるならば
それによって音楽を創り
そこから音楽を引き出すことはできるかもしれない
指のわずかなずれとゆれるバランスで
クラヴィコードのような微かな響を立てて
そのささやきに引き込まれてゆく
喪われた声をもとめて