島だより(14)

平野公子

来年の瀬戸内海芸術祭の準備がスタートしたようだ。役場のみなさんはすでに忙しく、これが来年一年続くのかと思うと、本当にご苦労さまと言いたい。これから島のどこかで毎日のようにイベントが進行しているといっても過言ではない。が、普段より何倍?何十倍?の観光客が島に押し寄せるとなれば、これも行政としては大きな仕事なんでしょう。いまや広域の島で開催されている通称瀬戸芸の進行表をみると、めまいがしてくる。できたらじっとしていた。

瀬戸芸の総合デイレクターは北川フラム氏とアートフロント、小豆島は他に建築分野、演劇分野、プロダクツ分野、デザイン分野と実にさまざまな大学教授&実践チームと関わりがある。演劇にいたってはかの平田オリザ氏であるしな。しかも進取の気盛んな町長率いる行政チームはどこともおつきあいが長いようだ。あぁ私の出る幕はないような気がする。ということが四季一巡り半を経て、わたしにもようやく見えてきた。

「平野さんがやってみたいこと、地道に続けて欲しいんです」と町長とチームのみなさんの言葉に促されて、私に関心がもてる、持続できそうな島の過去のことを調べていく、というのはどうでしょう、と提案したのが「島に残されていた絵 島を描いた画家たち」と「小豆島が生んだ三人の文学者 壺井栄 黒島伝治 壺井繁治 再発見」でした。なにもかも私自身が対称をまっさらなところに置いて再発見してくという試みです。もちろん私の事ですから学術的というわけでではありません。展示会にしたり、朗読会、講演会、出版につなげていくというジグザク進行です。

これがだんだん広がりつつあります。嬉しい事に島のみなさんが楽しみにしてくれてる様子、島の若者が興味をもってくれている様子、いかにも私に望むところです。なので仕事という気がしない仕事なんだろうか、またしても。

いまは来年の壺井栄50年忌を島でどのようなことができるか相談中です。私はここ数ヶ月、本に向かって栄ちゃんと親しく声かけながら、壺井栄を読みまくりましたが、どうにも腑に落ちないことが数点浮かんできて、ここらをつっこんでいきたいと思いだしたところ。

またお便りします。