島便り(4)

平野公子

築百年の古民家暮らしとはいえ、一歩家に入れば東京で住んでいた時のまんまです。骨董家具や食器に取り囲まれたステキな暮らしをしているわけではありません。もともと無趣味です。もし私に好み、あるいはクセがあるとすれば、人集めちゃう、イヤ人が集まって来ちゃうことぐらいです。

島の運送屋の会長Y氏が突然訪ねてきたのは3ヶ月前、それから頻繁に車で島の名所、秘境、畑、海など案内いただいた。島の企業の会長たちや町長にひきあわせていただいたのもY氏だ。Y氏は仕事中は薄グレーのつなぎ服らしく、どこへいくのもつなぎのままだ。会社業務の空き時間を使ってつかの間のデートである。お昼いただきながらお茶飲みながらY氏の島の話に耳傾けているうちに、小豆島の産業基幹は食品加工とその販売で持っているのだ、と解ってきた。醤油、佃煮、オリーブ、素麺はもちろん細かくいくとその数多種多様な食品にわたり、その販売先の主は関西近畿方面だろうか。農業、漁業盛んな島であると情報だけで勝手読みしていたのは私の初歩的マチガイであった。

Y氏は私より2歳ほど下で、神戸からJターンしてきたのが9年前、残りの人生は全て故郷の小豆島の未来に使いたいという人物だ。話は壮大かつ具体に満ちている。島にこれからスローフード(懐かしいひびき)を根づかせたい、まだまだ手づかずの自然や農産物が幸い残っている、開発でなく有機的な生産物の生産法や加工法、販売法をつくっていきたい、産学行政共同で、大まかにくくるとこういうことだった。で、島の企業人たちと勉強会も毎月開催されている、その事務局長なのだった。

私はその会合にも一度出席させていただき、今取り組んでおられる植物のサンプルまでただいた。だがなぁ、正直言ってひとつをのぞき魅力もてなかったのだ。もしわたしが島の食物を島外の消費者に食べてもらうことを考えるなら、まず地元産でまだまだもったいない作物がいっぱいあるのではないか、やり方次第で掘り起こせる食材は眠っているのではないか、と思えたのだった。

売られた喧嘩はなにをおいても買わねばならない。聞かれてもいないのに、ああだ、こうだと意見を言ってしまう、たのまれてもいないのに試作品まで作った、たのまれてもいないのに東京から似たような食材まで集めてきた。

途中でひとりごちた。あぁ、またわたしやっちゃってるわ、コレ余計なお世話ってやつかも。多分、Y氏は私の意見や提言を参考くらいにはしたかもしれないが、商売にはむすびつけてはいないでしょう。あとで知ったのでしたが島の食品会社はそれなりに大がかりで、設備も販売網も盤石です。採算をふまえてじっくりとりかかるのだと思う。

でもY氏のおかげで私の中で何かのスイッチがカチンと入った。やっぱり少量でいいから地場産の作物そのものと季節の加工品を作り、島でも個人でやってる商店の食物とをこれまた小さな販売ネットワークでやれるのではないか、イヤやってみようというスイッチです。ひと月くらい前に点火したので、まだチョロ火です。

もうちょっと言わせていただければ、第一次産業をもう一度やりなおさないとダメじゃん、ということなんです。農業、漁業、林業、牧畜、元にもどすんじゃなくてこれからのやりかたがあるんじゃないか、ということなんです。島だけでなく日本のどこの地方にもそう言えるのか?