本を読む子

植松眞人

 ねえ、本はどこにあるの、と女の子が聞く。図書館だから、いくらでもあるよ、と私は答える。本が好きなの?と私が聞くと、女の子は、うん、好き、と答える。
 女の子は小学校に入ったばかりくらいに見えた。薄いブルーのワンピースを着ていて、くりくりとした目でまっすぐに私を見た。利発で可愛い女の子だと思った。夏休みらしく日焼けをしていて、きっと駆けっこも早いんだろうなあと私は思った。
 ねえ、おじさんも本が好きなの、と女の子は私に聞く。好きだよ、と私は答える。どんな本が好き、と女の子が聞き、どんな本でも読むよ、と私が答えると、女の子は怪訝な顔をして、どんな本を読むのって聞いてないよ、どんな本が好きなのって聞いたんだよ、と言う。私はしばらく考えてから、そうだなあ、と声に出す。
「そうだなあ、好きな本ってどんな本だろう」
「自分で好きな本もわからないの」
 私はだんだんと、女の子との会話が楽しくなってくる。
「あのね、大人になるまで、たくさんの本を読むんだよ。そうすると、たくさんの好きな本が出てきて、急にどんな本が好きなのかと聞かれても困っちゃうんだよ」
 私がそう言うと、女の子はとても楽しそうに笑う。
「大人って面白いね」
「そうだね、面白いね。君はどんな本が好きなの?」
 私が聞くと、女の子は満面の笑みを浮かべながら私にぐいっと顔を近づける。私はね、楽しくなる本が好きなの、楽しくてね、ドキドキするような本が好き。
「楽しくてドキドキするのか。それはきっといい本だね」
 私がそう言うと、女の子は、いい本ってどんな本なの、と聞く。
「だからさ、楽しくてドキドキするのは、いい本だと思うよ」
「じゃ、悪い本ってあると思う?」
「どうだろう、あるかもしれない」
「悪い本ってどんな本なのかなあ」
 私は考え込む。悪行が書いてある本はあるだろうし、気持ちが萎えてしまうような本はあるだろう。だからって、それが悪い本とは言えない。もしかしたら、死ぬほどつまらない本だってあるかもしれない。でも、それだって、読む人によっては面白い、いい本かもしれない。そう考えると、あるかもしれないと答えた悪い本なんて、世の中にはないのかもしれない、という気もしてくる。
「私はまだ読んだことがないんだけど」
 女の子は話し始める。
「前にね、お母さんに聞いたことがあるの。悪い本てあるの?って」
「お母さんはなんて答えたのかなあ」
 私が聞くと、女の子はとても嬉しそうな顔をして、私の顔をのぞき込む。
「ユキグニだって」
 私は驚いて、えっ、と小さい声をあげる。私の声に驚いて、女の子が目を丸くする。
「どうしたの」
 と女の子は聞く。女の子に、雪国と言われて、素直に驚いてしまう。
「ユキグニって、カワバタヤスナリの?」
「わかんないけど、ユキグニ」
「その本をまだ君は読んだことがないんだね」
「うん。まだ読んでない」
「君のお母さんは、ユキグニを悪い本だと言ったんだね」
「うん」
「お母さんはどうしてそう言ったんだろう」
「それはわからない」
「わからないの?」
「うん。わからない」
 私はしばらく考え込む。女の子の母親が言っているのは、おそらく川端康成の雪国だろう。しかし、なぜ、母親は雪国を悪い本だと言うのだろう。胸に秘めるのではなく、まだ小学校に上がったばかりの自分の娘に、はっきりと「悪い本だ」と言葉にしてしまった理由はどこにあるのだろう。
 もちろん、いつの日か、雪国は悪い本だというのは母の思い込みではないのか、と思い直して彼女が雪国の表紙を開けるときが来るのかもしれない。しかし、それまでの間、母親が発した「雪国は悪い本だ」という言葉は、女の子の心にくさびのように刺さったままになるはずだ。そして、それは私が思っているよりも、女の子にとって大きな意味を持つことなのかもしれない。
 そんなことを考えているうちに、女の子は私の目の前から消えている。私は立ち上がり、ゆっくりと図書館の中を歩きながら、女の子を探す。外国文学の棚の前を通り、日本文学の棚の前を通り過ぎようとしたときに、ふと、さっきの女の子らしき声が聞こえる。私は書棚の向こう側を見る。
 さっきの女の子の姿がそこにあった。児童文学を集めたコーナーの片隅。子ども向けの読書机の上に、可愛いクマの挿絵が描いてある本を広げて、彼女は笑っている。となりにはベリーショートのさっぱりとした髪型の女がいて、女の子の耳元で小さな声でクマの挿絵の本を読み聞かせてやっている。
 きっと母親なのだろう。女の子は、耳元で何かを言われる度に、心の底からまっすぐに沸き上がるような声で笑う。その笑いにつられて、となりの母親も笑う。
 私の目の前の書棚には川端康成の雪国がちゃんと置いてある。(了)