島便り(9)

平野公子

小豆島の特産品はオリーブと醤油と佃煮と素麺なのだが、中でも一番のオリーブはいまや島だけでなく香川県、九州まで産地が拡張してきている。なれば量において、いずれ他所にかなわい時代がやってくるのは明らかだ。

と、こんな心配を私が何故しなくちゃならないんか、まぁおせっかいな性分であることは重々承知なのだが、島へ来てから農作物や果樹、魚介関連、山のものを含めて、気にかかってしょうがない。「もったいない」と「こうすればいいのに」がまだまだたくさんあるからなのだ、イヤありすぎなのだ。

当然のことだが、島の未来の産業のあり方を模索している方々は町役場をはじめとして、オリーブ業界、島の食品会社、自営農家とたくさんおられる。食品関連の会長たちで運営する食材会議という集まりもある。既にいろんな提案も実践もあるようだ。が、それをひとつずつお聞きする機会を得て、ますます「こうすればいいのに」感が湧いて来て困った。もともと島におられる方たちには気がつかない島の食べ物の味の良さというのかしらね、ソコに的がなかなかいっていないのだ。中量生産(そもそも大量ではない)を目指すからなのか、それともわたしの思い込みがシロウトだからなのか。はてさて。

例えば苺。
島の品種は「女峰」一種で、小粒ながらしっかり酸味甘みともに濃い味、懐かしい味。しっかり赤く育ってから島内と香川で販売されている。日本全国でも1パーセントしか生産されていない品種だ。東京では、ただ甘く柔らかく値の高いイチゴしか出回っていなかったため、イチゴをあまり食べていなかった私メ苺の美味しさに目覚めた。

先日、イチゴ農家さんの作業を見学させていただいたのだが、イチゴ一粒ずつの生育を自分の目で見ながら育てている。が、ひとりの棟育の量は広く多い。水やり温度調整湿度などはまとめてコンピューターで管理されている。夜間もしっかり管理されいるとか。農家の若者はコンピューター作業小屋でときには好きなギターを爆音で奏でているようだ。つまり、ひとりが育てることの量はかなり多いのだ。だのに休耕棟が多い。なり手がいないから、、、。もったいない。小豆島産苺を島をあげて名産として活路の開拓をすれば、苺農家はもっと増えるのではないだろうか。

例えば山椒。
庭にいい実をつける山椒の樹がある。山椒は葉から青い実から紅葉した赤い実から枯れた実まで、多様に使い道のある香辛料の樹だ。島の山椒は優秀な実をつけることがわかった。土と気候のなせる技だろうか。なぜ島で山椒畑をつくらないのだろう? 植生を調査して、いくらでも空いている山間部や休耕地に育成できるのではないか。粉にして、粒のまま、乾燥葉を売り出す事は可能なのではないだろうか、と今年の春に山椒の実を漬けた醤油と酢と塩を毎日使いながら思う。それぞれ山椒の味と香りがほんのり移り、美味なのだ。

例えば魚。
島に来る時から魚が思う存分食べられるとウキウキしていた。これは幻想であった。海のそばだから魚はいる。が、正直美味しくないのだ。その理由がわからない。これには落胆を通り越してグチというものをほとんど言う習性のない私メが誰彼となくグチっている。どうして、どうしてなの、と。暮れも押し迫ったある日、某運輸会社の社長さんから電話あり、「魚の美味しいところへご案内いたしますよ」。年明けに行ってみます。もしそこで美味しいと思ったら、普段手にはいらないのは何故かのカラクリがわかるかもしれない。

例えば、、、は限りなくあるのでここでやめときます。