シノップの娘

さとうまき

久しぶりにトルコ経由の飛行機に乗ることになり、トランジッドに時間があったので、反原発の活動家のプナールさんに連絡してみた。プナールさんはイスタンブールに住んでいるが、反原発の運動にも盛んに参加し、「シノップの娘」と呼ばれている。シノップはトルコが原発を作ろうとしている黒海に面した港町。日本は福島の原発事故以降も海外への原発輸出に積極的で、トルコは三菱が頑張っていたが、しかし、安全対策を考えると全くビジネスにならず、昨年12月に撤退を表明した。

1976年生まれのプナールさんが、核の問題に関心を持ったのは、子どものころにトルコの詩人ナーズム・ヒクメットが書いた「死んだ女の子」に出会ったことだという。広島の原爆で亡くなった女の子のことを詩っている。

あけてちょうだい たたくのはあたし

あっちの戸 こっちの戸 あたしはたたくの

こわがらないで 見えないあたしを

だれにも見えない死んだ女の子を

(中略)

戸をたたくのはあたし

平和な世界に どうかしてちょうだい

炎が子どもを焼かないように

あまいあめ玉がしゃぶれるように

炎が子どもを焼かないように

あまいあめ玉がしゃぶれるように

(ナジム・ヒクメット作詞、中本信幸訳)

日本に関心を持った彼女は、日本語を学び、日系企業で働いていた。福島の原発事故を知り、悲しみを肌で感じたという。そして、2013年には日本とトルコが原子力協定を結び、原発輸出を決めた時はショックを受け、その後福島を4度訪問している。

2015年ドイツに、自然エネルギーの調査に行って戻ってくると、右派からスパイ呼ばわりされ、TVでも報道されたという。

「今のトルコ政府は、逆らうものは全部テロリスト呼ばわりされるわ」と危機感を募らせる。

4月の終わりになるとチェルノブイリの事故の記念日をトルコ人は忘れていなくて、いろんなイベントをやる。なんといってもソ連はトルコの隣国だった。トルコにも汚染被害が及んだ。この地域では、家族が必ず一人はがんで死んでおり、因果関係を疑っている。プナールさんはそういった集会やシンポジュームで福島のことを話している。今回もシンポジュームに呼ばれた。途中原発が作られる予定地を車で走ってくれた。ところどころで牛を放牧している農家を抜け、美しい森を抜けると、65万本の木が切られていた。

「トルコ政府は、日本が撤退したことをいまだにきちんと言わないのです。これだけの木を切り倒してプロジェクトがぽしゃったとなると、だれも納得しないでしょう」

この辺をうろうろしていると警察に捕まることもあるらしい。車をずっと運転くれたブレントさんは、頭が少し禿げていて、穏やかな中年。その禿げ方が共産主義者ぽくみえる。車で流してくれた曲が、インターナショナル、不屈の民、We shall overcome..とかで、何とも時代がタイムスリップし、彼は戦っている!感じがにじみ出ているのだ。

シノップは小さな港町。漁船が停泊して、カモメが飛び交う。

夜、魚料理を食べたくなって、海岸のレストランで小魚2種類を一匹ずつフライにしてもらった。ところが、言葉が通じなくて大量の小魚のフライが出てきた。イスラムの国だが、この町ではお酒はどこでも出してくれるので、小魚をつまみに、夜が更けていくまでビールを飲んでいた。

広島が世界の反核運動の中心になっている。一方、福島後も日本は原発を輸出しようとしているのは情けない。人民よ!連帯せよ!